やるかやられるか

82年の途中から右肩に違和感があった江川。それでもここぞの球は一級品だった
入団年こそ違うが、
巨人・
江川卓、
阪神・
掛布雅之の対決は常に「真っすぐ対フルスイング」でファンを沸かせた。今回は、その幾多の対戦の中では珍しい「敬遠」を紹介する。ただし、これもまた、名勝負だった。
2人が引退後、小社で行ったインタビューを少し抜粋しよう。まず、元巨人・江川卓。
「フォアボールっていう選択は僕の中にはないんですね。そこに先発として、四番として選ばれて、恥ずかしいことはできない、っていうのはあるんですよ。変な話ね、自分がベストボールを投げたのを、もし打たれたのだとしたら、それはいいじゃないですか」
続いて元阪神・掛布雅之。
「ピッチャーが全力で投げたボールをバッターが全力で打つ。単純な、投げて打つんだ、という、すごく分かりやすい対決があったほうが、野球の魅力を感じるんじゃないですかね」
ライバルチームのエースと四番。プライドをぶつけ合っての幾多の情景が思い起こされる。
この2人、特に江川にとっては不本意だった“名勝負”が、1982年9月4日、甲子園での阪神─巨人戦だった。
1回裏に阪神は
真弓明信の先頭打者本塁打で先制したが、続く2回表に巨人が逆転、3回表、6回表にも1点ずつ追加したが、その裏に掛布の適時打などで阪神も得点し、1点差に詰め寄っていた。
場面は8回裏二死二塁だった。四番・掛布を迎え、甲子園は大いに盛り上がる。しかし、巨人ベンチのサインは敬遠……。無表情だったマウンドの江川だが、投げた球は雄弁だった。
「目の前を浮き上がっていくようなボールを投げるんですもん。『なんちゅう敬遠のボールを投げるんだ』と思いました」
掛布は、そう振り返る。
結局、掛布は無事(?)一塁へ。試合は後続を断った江川が18勝目を挙げた。実は、この試合、江川はシーズン無四球試合10のセ・リーグタイ記録もかかっていたが、優勝争い真っ只中、やむを得ぬ作戦であるのは、江川が一番分かっていた。だから試合後、本人の敬遠へのコメントは特になかったようだ。
しかし、翌日、スポーツ新聞各紙が、この対決を取り上げた。報知新聞では
金田正一氏が「勝負の敬遠、攻める敬遠」と書いた。サン
ケイは
野村克也氏。この場面で阪神は一死一塁でヒットエンドランをかけ、二死二塁としていたのだが、「終盤になっての阪神の冒険策が最大の売り物をも殺した」と書いていた。一味違う見方はノムさんらしい。
写真=BBM