松井秀喜がメジャーに舞台を移したのは2003年だった。野茂英雄で日本の投手が通用することが証明された。イチローで日本の巧打者がやっていけることが分かった。では長距離砲はどうか? そんな視線が松井に注がれた。しかも移籍先は名門・ヤンキース。日本から来た記者が大騒ぎするばかりでなく、アメリカ内の注目度も高かった。 日米のメディアから注目されて

ヤンキース時代の松井
2003年1月、マンハッタンのホテルで行われた入団会見にはジョー・トーリ監督、エースのロジャー・クレメンスのほか、当時のニューヨークのマイケル・ブルームバーグ市長が駆け付けるなど、豪華だった。
フロリダ州タンパでのスプリングトレーニングは、日米の
大勢の記者が松井の動きを追った。そんな中で松井は故障なく開幕を迎えた。3月31日、敵地トロントでのブルージェイズ戦。松井は五番・左翼でスタメンに名を連ねた。ブルージェイズの先発はロイ・ハラデー。17年に小型航空機の事故によって40歳でこの世を去ることになるのだが、当時メジャー6年目の右腕。前年19勝を挙げ、自身初の開幕投手だった。
1回表。二死一、三塁のチャンスで松井。メジャーの公式戦初打席。だが委縮することなく積極的に初球を叩き、左前に抜ける先制タイムリーとし、文句なしのデビューとなった。しかし、より強烈に印象に残っているのは本拠地ヤンキー・スタジアム初戦での満塁本塁打であろう。
トロント、タンパで計6試合を終えてニューヨークに戻る。予定は4月7日だったが、寒冷のため1日順延され、翌8日になった。火曜日のデーゲーム。試合開始時の気温は摂氏17度であった。
ツインズの先発はメジャー5年目のジョー・メイズ。01年には17勝をマークした右腕だ。松井は二ゴロ、四球で5回の第3打席に臨んだ。一死満塁で、フルカウントからのチェンジアップを強振すると、打球は右中間スタンドへ。本拠地初戦で華々しい一発だった。ダイヤモンドを一周して戻った松井は、トーリ監督に促されてダッグアウトから出て観客の歓声に応えた。
“ゴジラ、ニューヨークに上陸”の瞬間であった。「本塁打にこだわりはあるが、意識することなく、徐々にそういう方向に持っていければいい」。うれしかったという松井だが、極めて冷静なコメントをしたのだった。
『週刊ベースボール』2021年4月19日号(4月7日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images