3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 ともにオープン戦は3本塁打
今回は『1973年4月2日号』。定価は100円。
1973年、オープン戦で
巨人・
王貞治、阪神・
田淵幸一のホームランが話題となっていた。
特に3月17日、4試合消化時点で3本の王だ。しかも16打数8安打と打率5割。もともとのスロースターターだけに周囲を驚かせた。
「今までのようなのんびりしたスタートではなく、今年はガンガンいきたい。そうでなければ大きな記録なんて期待できない」
大きな記録が三冠王をさしていることは言うまでもない。
田淵もまた、同じく3号。
「5年目の今年こそ40本塁打に乗せてみせる。王さんに追いつき、追い越せのファイトが昨年の経験でますます湧いてきました」
前年、途中まで王と競り合いながら34本塁打でストップ。48本の王とは大きく差を引き離された。
ただ、田淵はキャンプでは散々にたたかれた。100キロを超えたという体重からだ。それでも田淵は、
「やせていたときはみんなからもやしみたいやと言われた。プロのバッティングをするにはもっと体をつくらないかんと注文をつけられた。ところが太れば太ったで、こんどはアカンいわれる。どうすればいいんでしょうね」
やや奇妙な関西弁で言う。
さらにキャンプの仕上げの時期に腰痛、オープン戦に入っても風邪。ただ、それでも3本塁打だから、さすがといえばさすがだ。
田淵はもう1つ課題があった。腰を割った低い捕球姿勢ができず、腰高と投手に嫌がられることだ。一塁も守ったが、本人は捕手にこだわりがあるという。果たして。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM