月刊誌『ベースボールマガジン』で連載している伊原春樹氏の球界回顧録。2021年3月号では落合ドラゴンズに関してつづってもらった。 短期決戦で露呈した中日とのさまざまな差
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2007年、CSで巨人を打ち破った中日は日本シリーズでも日本ハムに勝ち、日本一に
2007年のCS第2ステージで落合ドラゴンズにしてやられたのは忘れられない。
原辰徳監督が復帰2年目で優勝を果たし、
阪神との第1ステージを勝ち抜いた中日を迎え撃った。その初戦だ。巨人は中日の先発を
山井大介か
朝倉健太か、とにかく右腕と読み、スタメンに7人の左打者を並べたが、先発は左腕の
小笠原孝。同年6勝を挙げていた男は4日前の第1ステージ第2戦(ナゴヤドーム)で中継ぎ登板していたから、本当に“まさか”だった。巨人打線は小笠原孝を打ちあぐみ5回で1得点のみ。その後、中日が繰り出す継投の前にも打線は抑え込まれ、2対5で敗れると、第2、3戦も落とし、日本シリーズ進出を阻まれてしまった。
CS後、ペナントレース終了直後に山井が右肩痛を訴え、調子を落としていた朝倉とともに先発起用のメドが断たず、小笠原孝の先発は苦肉の策だったことが落合監督の口から明かされた。だが、私はそうではなく、
高橋由伸、
小笠原道大、李承燁、
阿部慎之助ら主軸に左打者が多い巨人打線を封じ込める最善の策を考えた末の小笠原孝の先発起用だったと思っている。
巨人は中日と違ってシーズン終了からCS第2ステージが始まるまで2週間、間隔があいて実戦感覚が不足していたことも響いた。中日打線と違い、長打で畳みかけるスタイルで小技を駆使できなかったのも痛かった。CSでは犠打、犠飛、盗塁、エンドランが1個も記録されず。第3戦の4回、先頭の谷が四球で出塁し暴投で二塁に進み、小笠原道に適時打が出た。だが6、8回はともに先頭の
谷佳知が安打で出塁しながら、何も策を講じられず得点に結びつけられなかった。挙句の果てに、2点ビハインドの9回無死一塁では、代走・
古城茂幸が浅い左飛で飛び出して、帰塁できずに併殺。これでは勝てるわけがない。
高橋由が2戦目からケガで欠場したのも痛かった。バッテリーがシーズンと同様、ウッズを抑え切れなかったり、捕手の
谷繁元信に打撃で調子づかせたりするなど敗因は多々あった。そんななかでも中日と大きな差があったのは二遊間。例えば巨人は初戦の3回、遊撃・
二岡智宏の悪送球でピンチを広げて先取点を許すなどミスが目立った。
荒木雅博、
井端弘和の“アライバ”と比べると、どうしてももろさが目についた。しかし、この悔しさが糧となって09年までのリーグ3連覇につながったのは間違いない。とにかく、巨人にとって落合ドラゴンズは良きライバルだったのは確かだ。
写真=BBM