3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を進行中。いろいろあってしばらく休載しましたが、今後は時々掲載します。 遠征に夫人同伴を許可?

県営宮城球場
今回は『1973年6月4日号』。定価は100円。
金田正一新監督の新生
ロッテの話だ。
東京スタジアムに契約を切られ、神宮を準フランチャイズと思ったが、大学野球を理由に試合数が制限されるという二重苦三重苦の中、宮城県仙台が名乗りを上げ、準本拠地となることが決まった。
ただし、仙台開催は試合数が少なく、しかも初開催が5月22日からと遅い。
ホーム、ビジターについては主催ゲームかどうかが判断基準になり、ロッテは神宮のほか後楽園を使用し、主催ゲームを行っていた。
ただ、遠征か遠征でないかはどうなのか。
ほとんどの選手が東京に住み、選手寮、球団事務所も東京。では、準本拠地仙台のゲームは遠征なのかどうか。
ややこしい話はやめておこう。
いずれにせよ、この年のロッテはひたすら遠征が多く、選手の疲労がたまりがちだった。そんな中、5月4日から13日までの遠征後半で4連敗したことが頭にあるのか、金田監督が「遠征に夫人を同伴させたらどうやろ」と球団に提案。選手は「球団がカネを出してくれるならありがたい」という声もあったが20代、30代となれば子どもが小さい家も多く、「子どもの幼稚園があるから難しいかな」という選手もいた。
5月22日から初の仙台開催となる近鉄3連戦のセレモニーも決まった。選手は仙台駅から自衛隊音楽隊とバトンガールを先頭にパレードをし、県庁前でサインボールの投げ入れをする。すでに4000枚のシーズン席はすべて売り切れ、東北野球企業の一力社長は、
「このまま首位を堅持して優勝し、仙台で日本シリーズをやってくれたら」
と話していた。
5月20日時点で首位を走るロッテの強さの要因が川崎球場での強さと言えるだろう。5月20日まで12勝2敗とすさまじい。ただし、この年、川崎で前期は試合なく、後期は4試合のみだった。
後期は首都圏の後楽園、川崎、神宮は65試合中16試合、ほかは関西、仙台、九州と大移動の連続。この移動はかなりきついだろう。
開幕直後、ロッテの対抗馬は太平洋だったが、ここに来て失速気味。対してジワジワ上がってきたのが南海だった。
野村克也監督は、
「チームに総合力があるということや。ロッテ、太平洋と大騒ぎしているけど、今にみとけやな」と話していた。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM