「小林は帽子が落ちないと……(笑)」
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現役ラストイヤーの小林
シーズン13勝でリーグ優勝に貢献しながらも、それがラストイヤーとなった
巨人の
江川卓については紹介したばかりだが、運命の悪戯か、あるいは皮肉か、江川のプロ入りで巨人からライバルの
阪神へと“トレード”された
小林繁も、ラストイヤーの1983年は同じ13勝だった。
江川と同じ右腕だが、小林はスマートな体をカクカクさせながらサイドから投げ込む個性派。巨人で2年連続18勝、防御率リーグ2位の活躍でリーグ連覇を支えたが、プロ7年目となる79年キャンプ前に運命の移籍、巨人戦での無傷の8勝を含む22勝を挙げて初の最多勝に輝いている。これがキャリアハイとなったとはいえ、その後も2ケタ勝利を続けて阪神をエースとして支えた小林だったが、83年は開幕を前に「15勝できなかったら、ユニフォームを脱ぐ」と宣言。ここ最近であれば15勝に届かない投手が引退していたらエース級が次々に去っていく惨状となってしまうが、20勝に到達する投手も散見されていた当時、その1人でもあり、その前年は11勝だった小林にとっては最低限の目標だったのかもしれない。そして、その有言実行も、小林には当然のことだったのかもしれない。ただ、その突然の発表はファンを驚かせた。
これを受けて巨人のチームメートでもあった解説者の
関本四十四が『週刊ベースボール』でインタビューしている。小林は目標の15勝に到達するか分からない8月の時点で
安藤統男監督に引退を伝えており、このときは慰留されて、「レベルが低かったけど、一時は最多勝を狙えるかな、というところにいたから、それに勝負を懸けてみます」とプレーを続けたが、「技術も落ちてる、気力も落ちてる」(小林)状態だったという。
「納得できないピッチングにしがみついているわけにはいかない。小林は投げ終わった後に帽子が落ちないと一生懸命に投げているようには見えん、と言われてるからね(笑)。どうしても全力で投げなければならないし。こういう運命だったのかもしれんね」(小林)
確かに唐突ではあったが、小林のキャリアは静かに幕を下ろした。
文=犬企画マンホール 写真=BBM