3年前に創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。バックナンバーを抜粋し、紹介する連載を時々掲載しています。 バスター攻撃で江川を攻め立てる柳川商

柳川商打線は必死に江川に食らいついた
今回は『1973年8月27日号』。定価は100円。
1973年8月9日、甲子園夏の大会、作新学院高対柳川商戦の後編だ。
3回まで作新の怪物・
江川卓の前に沈黙した柳川打線だが、4回、吉田のライト前、古賀の三遊間を抜くレフト前と2本のヒットを続ける。
江川は表情こそ変えなかったが、盛んにクビをひねっていた。
実は柳川ナイン、対戦が決まる前から江川との対決を待ち望んでいた。
甲子園行きのチケットをつかんだ際、福田監督は、「できるなら江川と戦いたい。そして勝ちたい」ときっぱり。組み合わせ抽選で作新との対決が決まった際にはナインから「やった!」の声も上がった。
ただし、さすが江川。このときは後続をきっちり断ち、5回を終え、10奪三振。いつもの江川と変わらぬように見えた。
しかし6回一死後、吉田の投手強襲のヒットで江川の表情が少し変わった。
柳川打線の戦法は、バスター。バントの構えから引いてコンパクトに振り抜くバッティングだ。福田監督は言う。
「この打ち方だと高めに手を出す可能性が低い。江川の高めに手を出せばバットに当たることは少ないから」
実際、序盤は江川のスピードに幻惑され、ついバットが出てしまうこともあったが、徐々にボールの見極めができるようになっていった。
6回、さらに古賀が内野安打、そのあと松藤の一打が右中間を深々と破る三塁打で柳川商が1点先制だ。江川はそのときベースカバーも忘れ、マウンドから呆然と右中間方向を見つめていた。
江川にとって146イニングぶりの失点だった。
だが、「僕が頑張っていれば、いつか点を取ってくれると思っていました」と、すぐさまいつもの江川に戻り、淡々と投げ続ける。
味方打線は7回に相手捕手の悪送球もあって1点を挙げて追いつくも、その後は互いにゼロ行進。作新は9回裏にサヨナラのチャンスをつかんだが、柳川はスクイズを警戒し、センターが三塁手の前、打者の3メートル前に立つ思い切ったシフトを敷き、無失点に凌ぎ切る。
さらに延長戦突入後14回にも、江川が自ら三塁打を放ったが、同様のシフトで小倉の一打が目の前の中堅手のグラブに収まり、“センターゴロ”だ。
それでも延長15回裏、死球、野選と相手のミスもあって1点を奪いサヨナラ勝ち。3時間10分、219球を投げた江川は、
「よかった。柳川商の振りは鋭く、いつ点を取られるか心配だった。延長に入ってからは投げるだけで精いっぱいだった」
試合後、2安打に加え、唯一三振のなかった吉田は、
「江川選手は大したことがなかったです。もう少し打てれば勝てた」
と悔しそうに語った。
では、また。
<次回に続く>
写真=BBM