本塁打を量産するような強打者はバントをしないというイメージがあるが、通算本塁打上位で「バントも多く記録している選手」は誰だろうか? 例えば、NPB歴代トップの通算本塁打数の
王貞治は、何度バントをしているのかなども気になるところだ。「通算本塁打上位選手の犠打数」を調べてみた。
日本が誇る本塁打王も12回のバントを記録

落合はロッテ時代に3犠打、中日時代に1犠打を記録している
NPB通算本塁打上位10選手と通算犠打数を調べ、以下にまとめてみた。
第1位 王貞治(868本塁打)通算12犠打
第2位
野村克也(657本塁打)通算11犠打
第3位
門田博光(567本塁打)通算6犠打
第4位
山本浩二(536本塁打)通算48犠打
第5位
清原和博(525本塁打)通算5犠打
第6位
落合博満(510本塁打)通算4犠打
第7位
張本勲(504本塁打)通算4犠打
同7位
衣笠祥雄(504本塁打)通算88犠打
第9位
大杉勝男(486本塁打)通算11犠打
第10位
金本知憲(476本塁打)通算4犠打
通算本塁打上位10傑で、最も多くバントを記録しているのが衣笠祥雄。豪快なバッティングで通算504本もの本塁打を放ったが、一方でバント数も88犠打と、本塁打上位10傑では群を抜いている。常にチームの勝利のことを考えて全力でプレーしていた衣笠ならではの数字だろう。
衣笠の次に多いのが歴代4位の536本塁打を記録している山本浩二。衣笠とは同じ1946年生まれで共に
広島一筋でプレー。この2人が形成するYK砲は広島打線の象徴だった。衣笠には及ばずとも山本も通算48犠打を記録。上位5人では突出している。

衣笠は82年に12犠打をマークするなど通算88犠打
3番目に多いのは意外なことに通算本塁打歴代トップの王貞治。入団2年目の1960年から1962年にかけては年に数回バントをしている。1964年の広島戦では「王シフト」という極端な守備配置の間隙を突き、なんと「バントで二塁打」という珍記録も生まれた。
通算本塁打歴代2位の野村克也、歴代9位の大杉勝男が共に11犠打をマーク。野村は1958年までは年に数回バントをしていたが、1965年以降は記録なし。大杉も入団から数年はバントの機会があったが、強打を発揮すると共に犠打をすることは珍しくなった。
以下はすべて10犠打以下だが、清原和博や落合博満といった「バントのイメージがない選手」でも実はバントをする機会があった。清原は
西武時代に4回、
巨人時代に1回記録している。巨人でのバントは2001年7月17日の
阪神戦で記録。ノーアウトランナー二塁の場面で清原にバント指示があり、清原は戸惑いながらも送りバントに成功している。当時、巨人を率いていた
長嶋茂雄監督は、強打の選手だろうが関係なくチャンスにバント指示を出して周囲を驚かせていた。
11位以下には生涯犠打0の選手も

田淵[写真]、ローズは通算で犠打はゼロだ
ちなみに、通算本塁打20位まで範囲を広げてみると以下のようになる。
第11位
田淵幸一(474本塁打)通算0犠打
第12位
土井正博(465本塁打)通算14犠打
第13位
タフィ・ローズ(464本塁打)通算0犠打
第14位 長嶋茂雄(444本塁打)通算5犠打
第15位
中村剛也(442本塁打)通算17犠打 ※現役
第16位
秋山幸二(437本塁打)通算20犠打
第17位
小久保裕紀(413本塁打)通算20犠打
第18位
阿部慎之助(406本塁打)通算31犠打
第19位
中村紀洋(404本塁打)通算26犠打
第20位
山崎武司(403本塁打)通算5犠打
11位から20位まではオールラウンダーも入ってくるため全体的に犠打数は増加。それでも最多は31犠打を記録した阿部慎之助で、上位10傑でトップだった衣笠の88犠打には及ばない。また、11位の田淵と13位のローズが通算0犠打。田淵は実働16年のうち、何度かバントの指示があったが、ランナーがけん制で刺されたり、バントを失敗したりで結局一度も記録されることはなかった。
通算本塁打数上位10傑のうち、最もバントを記録したのは鉄人・衣笠。広島の一時代を築いたレジェンドのすごさをあらためて実感する結果となった。現役選手では、通算301本塁打で歴代31位の
松田宣浩が43犠打と奮闘している。果たして衣笠にどこまで迫れるのか、今後に期待したい。
文=中田ボンベ@dcp 写真=BBM