青木宣親外野手は2011年のシーズン終了後、ポスティングシステムを使ってメジャーに移籍した。当時は落札した球団が独占交渉権を得るもの。落札したのはブリュワーズで、250万ドルだった。ヤクルトでの8年間で通算打率.329、首位打者3度の日本球界の誇る安打製造機である。一方で、メジャーでの日本人野手の評価は芳しいものではなかった。青木はアリゾナのキャンプ施設で首脳陣を前にプレーをチェックされる「入団テスト」で、お眼鏡にかない2年契約に至った。しかし立場は控えの外野手であった。 メジャーで重ねたさまざまな経験

ブリュワーズ時代の青木
30歳の新人はスプリングトレーニングで27試合に出場して打率.299。手応えをつかんで開幕に臨んだ。メジャー・デビューは4月6日の開幕戦。本拠地でのカージナルス戦だった。2対6とリードされた5回裏無死一、三塁で投手の打順で代打に起用され、空振り三振に倒れた。初安打は2日後の同じカード。1対6の8回裏、やはり投手の代打で登場し左前打を放った。この後、
ゴンザレスの左翼線二塁打で生還している。
初本塁打は4月20日のロッキーズ戦。二番・中堅で先発出場していた。0対2とリードされた4回裏、一死走者なし。レフトへ弾き返すとダイビングキャッチを試みた左翼手が後逸。打球がフェンスまで転がる間に青木はすべての塁を走り抜き、ランニング本塁打を記録した。こうして実力を示し、5月からはスタメン。主に一番打者としてチームをけん引した。1年目は151試合で打率.288、10本塁打、50打点、81得点。チーム2位の30盗塁をマークし、正右翼手の地位を確立した。
1年目のスタートを順調に切ったメジャー生活。このあと、さまざまな経験を重ねることになる。3年目にはロイヤルズに移籍。チャンスメーカーとして29年ぶりのワールド・シリーズ進出に貢献した。4年目はジャイアンツでシーズン序盤から3割を超える打率をキープしてきたが、6月20日に死球で右の脛を骨折して戦線離脱。復帰後の8月9日には今度は頭部に死球を受け、その後、脳しんとうのような症状に悩まされることになった。
5年目はマリナーズのユニフォームを着て、最後の6年目に在籍していたアストロズで日米通算2000安打を達成するも、ブルージェイズ、メッツと渡り歩き、シーズン終了後にFA。古巣のヤクルトに戻ることになった。メジャー通算成績は758試合で774安打、33本塁打、219打点、98盗塁。打率.285は.311の
イチローに次いで日本人野手2位である。
ヤクルト復帰時の会見で、メジャー6年間について「自分を変えてくれた。生活からすべてが試練。そんな中でいつも前向きに、楽しさを忘れずにやってきた。相当、自信になりました」と語っていた。昨季は日本一になり、40歳の今季も現役。アメリカ生活は間違いなくプラスになっている。
『週刊ベースボール』2022年4月11日号(3月30日発売)より
文=樋口浩一 写真=Getty Images