
左から、のちに監督となった星野仙一さん[当時現役]、現役時代の筆者、のち監督となった近藤貞雄さん[当時投手コーチ]。それぞれの監督さんに、それぞれの思い出があります
熱血漢の与那嶺さん
先日、バンテリンドームで解説の仕事があり、2年ぶりに名古屋に行ってきました。お客さんの歓声が聞こえないのはちょっと寂しい感じはしましたが、やっぱり球場はいいな、野球はいいなと、あらためて思いました。まだ、
広島や
西武のように大変なチームもありますが、早く、現場に行けることが日常になってもらいたいと思います。
さて、名古屋といえば
中日ドラゴンズ。今週は「中日ドラゴンズ85年」の特集だということなので、僕の中日時代の監督さん6人の思い出などを書いていきましょう。
プロ入りしたときの監督は、ダンディーで知られる
水原茂さん。こちらは新人で、話をしたことはあまりないですが、僕が入団2年目だったかのキャンプのとき、夜に大広間で、豆電球だけをつけて一人で素振りをしていたら、ちょうど水原さんが外出から帰ってきた。誰がやっているか確かめようとしたんでしょう。ふすまを開けて、「風邪引くなよ」とひと声かけてくれた。それが妙に印象に残っています。
1974年、
巨人のV10を阻止したときの監督の「ウォーリー」こと与那嶺(
与那嶺要)さんは、とにかく熱血漢。グラウンドでもめごとがあったときに出てくる速さがすごかった。ほかの監督さんも選手を守ろうという思いは持っていたでしょうけれども、速さが違いました。
グラウンドを離れると・・・
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