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川口和久のスクリューボール

川口和久コラム「梨田さん、楽しいダジャレ待ってますよ!」

 

梨田さんのコンニャク打法。ずっとクニャクニャ動いていた


山陰の先輩、頑張れ!


 最初は昔話から行こう。

 俺は鳥取城北高3年時、1977年秋のドラフト会議で、金田正一さんが監督だったロッテに6位指名されたけど、それを蹴って、大阪のデュプロ印刷機に入った。野球ばかりしていたわけじゃないよ。セールスマンとして実際、営業にも出ていた。

 当時、俺はまだプロ野球をナマで見たことがなかった。だから会社の先輩に「おい、カワ、野球、見に行くか」と言われて、二つ返事で「お願いします」と。

 連れていってもらったのは、会社から車で10分くらいのところにあった日生球場だった。カードは近鉄-ロッテ戦。今なら、拒否したチームの試合を指名選手が見ていたら、マスコミに面白おかしく書かれたかもしれないけど、まあ、6位だったし、球場にいた人も、俺のことなんか誰も知らなかった。

 びっくりしたのは、球場がガラガラだったこと。テレビで見てる巨人戦は、いつもお客さんがいっぱいだったからね。どこでも座れ、どこでも見られた。ブルペンで投げているピッチャーも近くで見たけど、球がめちゃくちゃ速かったな。

 その試合で、その人を初めて見たんだ。打席でヒザを曲げて、パカパカ動かして、バットも動かす。面白い打ち方をする人だなと思ったら、ガンといきなりホームランを打った。

 それが近鉄の捕手の梨田昌孝さん。いわゆるコンニャク打法だね。俺は当時、パ・リーグの選手なんてほとんど知らなかったから、梨田さんの名前も初めて聞いた。あとで調べたら出身が島根県と聞いて親近感がわいた。鳥取と島根だから一緒なんだ。山陰の先輩だね。

 ただ、プロ入りしてからは特別な接点もなく、あいさつする程度。じっくり話したのは、引退後、こっちが解説者、向こうが近鉄の監督時代だったけど、そのときの印象は、「この人、ダジャレばかり言ってる面白い人だな」だった。

 でも、梨田さんは、単なるダジャレ好きなオジサンじゃない。監督として近鉄、日本ハムで優勝を飾っている。きっとダジャレパワーもあったんじゃないかな。ほんとくだらないダジャレを連発しながら、意外と深いというのか、なるほどというダジャレをうまいことミックスする。選手もリラックスして乗っていけたと思うよ。

 でも……今、病室でもダジャレを言っているのかな。

 梨田さん、早く元気になって、今回のコロナで鬱々(うつうつ)している俺たちを大笑いさせるような傑作のダジャレを披露してください。待ってますよ!

アマ指導がスタート


 先日、2月にアマチュアの指導資格を回復してから初めてのオファーをもらった。静岡の東海大翔洋高の原俊介監督からの依頼さ。あいつはドラフト1位で96年に巨人に入ったんだけど、初めて球を捕ったプロの投手が、俺だったらしい。縁があったんだね。

 土日の2日間、投手20人ほどを教えたんだが、すぐ試合で使えそうな投手は2人だけかな。これが屋台骨にはなるんだろうが、いまは球数制限もあるし、もし甲子園まで勝ち上がりたいなら、あと2人は準備したいところだね。

 もともと打線のチームらしい。点を取ったら取られるの繰り返しで、負けパターンは5、6点取られて、それを追いかけるが届かない展開だという。

 投手の育成は時間がかかるが、今からなら間に合うだろう。ただ……まあ、夏の大会があるかどうかすら分からんけどね。

 原監督と言えば、巨人の原辰徳監督が思い切ったことをしたね。スカウト陣の刷新さ。俺はすごいことをしたなと思うよ。これについては、近日中にWEBのコラムで書くから読んでみて。(→こちら)

PROFILE
川口和久/かわぐち・かずひさ●1959年生まれ。鳥取県出身。左投両打。鳥取城北高からデュプロを経てドラフト1位で81年に広島入団。3年目の83年に先発の一角を確保し、86年からは6年連続で2ケタ勝利を挙げた。95年にFAで巨人へ移籍、98年限りで現役引退。巨人のコーチも務めた。通算成績435試合登板、139勝135敗4セーブ、防御率3.38。
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広島、巨人で活躍した川口和久氏が独自の視点でプロ野球に斬り込む連載コラム。

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