
球史に名を残す大投手。58年の日本一は4勝&サヨナラ本塁打の大活躍で「神様、仏様、稲尾様」とまで言われた
温厚な“サイ”さん
今でこそ九州のプロ野球と言えば
ソフトバンクだが、昔は西鉄だった。現在の
埼玉西武ライオンズの前身にあたる。私が東映に入団したのは1959年。その前年に西鉄は
三原脩監督の下、3年連続で日本一に輝いている。しかも日本シリーズの相手は3年とも
水原茂監督率いる
巨人だった。その水原監督がそれから数年後、わが東映の監督に就任して日本一をつかむことになる。
それはともかく、西鉄の黄金時代は大エースの鉄腕・
稲尾和久さんとともにあったと言えるだろう。稲尾さんは1937年生まれだから、私の3歳先輩にあたる。通算成績は276勝137敗。入団から8年連続20勝以上をマークし、数多くの投手タイトルを獲得した。記録の中で圧巻なのは61年のシーズン42勝だ。昨年の最多勝はセが
菅野智之(巨人)の14勝、パが
千賀滉大(ソフトバンク)らの11勝だから、およそ3~4年分にあたる。
当時のエースは先発とリリーフの兼任が当然の役割だった。時代と言ってしまえばそれまでだが、負けられない3連戦ともなれば、エースは第1戦に先発し、第2戦にはリリーフ、第3戦も先発かリリーフでマウンドに上がったものだ。42勝をマークした61年、稲尾さんは・・・
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