
1994年9月17日、阪神戦でサヨナラホームラン!
モノが違うスイング
1992年途中、
大久保博元が
西武から移籍してきた当時のジャイアンツは、成績が振るわなければ、いつでも「練習、練習、練習」の
藤田元司監督の方針は変わらない、藤田さんは常に厳しかった。遠征から帰京する日も早い便や新幹線に乗り、一度自宅に戻ってから多摩川グラウンドに再び招集され、投手は走り込み、打者は打ち込みに汗を流す。ほぼ帰京日の練習は毎度のことなので、僕は報道陣に「今日の練習はサンタマです」とか「サンハンタマです」(3時から多摩川グラウンドで練習開始、または3時半から多摩川グラウンドで練習開始という意味)とか略して伝えるようになっていた。
デーブもその輪の中に入り、打撃練習を行う。ゆっくりとした軌跡で振られたバットから弾き出されるデーブの打球は大きく放物線を描き、ピンポン球のように多摩川グラウンドの柵を越える。その打撃練習を黙って見ていたのが藤田監督と
中西太打撃コーチだった。中西さんが小さく唸るような声で「こいつのバッティングは、モノが違う……。そこらのバッターとは本当にモノが違う……」。そして藤田監督も「確かに……、モノが違うな」と静かに相槌(あいづち)を打つ。
この2人の後ろを通りかかった僕がたまたま耳にした会話だった。「打者大久保博元」の計り知れない可能性をこの2人の会話から僕は感じた。
でも、デーブはいつも言っていた・・・
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