
山形の地で通算200勝をマークして喜ぶ村田
村田兆治というピッチャーを初めてナマで観たのはもう半世紀近くも前のことになる。48年前の1974年9月12日、静岡草薙球場で行われた
ロッテオリオンズと太平洋クラブライオンズの一戦で先発した村田が完封した。なぜ覚えているかというと、村田先発を待ち焦がれていたからだ。
当時、静岡に住んでいた小学4年生はプロ野球を見始めたばかりだった。いったんハマるとのめり込む気質は子どものころからで、その年、草薙で行われた試合はかなりの数、観に行った。とりわけ草薙を準フランチャイズとしていたロッテの試合は何度も観た。
このシーズン、日本一に上り詰めるロッテは強力な先発4本柱を擁しており、5月に
成田文男を、7月に
木樽正明を、8月には
金田留広をナマで観た。しかしながら村田だけはなかなか観られなかった。9月になっておそらくこれがその年、ロッテ戦を観る最後のチャンスという試合、場内アナウンスで村田先発を聞いたときには、やったやったと騒いだ記憶もある。しかもその試合で次元の違う豪速球を繰り出して完封したものだから、村田はすごいピッチャーだというイメージが小学生に植え付けられたというわけだ。
翌年、名古屋へ引っ越すことになって、
中日ドラゴンズの試合を観る機会は増えたものの、ロッテの試合は観られなくなった。次に村田をナマで観たのは・・・
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