
日本通運に在籍した7年間、すべてで都市対抗に出場している筆者[写真=BBM]
社会人野球の“真夏の祭典”――。都市対抗野球大会が、今年は7月14日に東京ドームで開幕します。私は佐賀東高を卒業後、1977年から日本通運野球部でプレーしました。
西武に入団するまでの7年間、ユニフォームを着ましたが、まったく大した選手ではなかった私をテスト生として拾っていただき育ててくれた。私にとって、日本通運は原点と言っても過言ではありません。
当時は午前中、働いて午後から練習。私が勤めていたのは埼玉県内の寮から近いところで、先輩の車に同乗させてもらって通っていたので良かったのですが、遠方へ勤務する野球部員は毎朝、満員電車に揺られながら出社するので非常に大変そうでした。ただ、それでも好きな野球をしてお金をもらえる。やりがいもありましたし、同時に責任感も芽生えます。会社は年度末に予算達成することが目標ですが、われわれにとってそれにあたるのが都市対抗出場。社会人野球にとって最も名誉ある大会に出場することで、“予算達成”を果たすという感覚でした。
1年目に体感した異様な緊迫感は忘れることができません。日本通運は南関東大会1回戦で負け、敗者復活戦に回ったのですが、朝、先輩たちが歯を磨いていても皆、えずいている。負けられない戦いが迫っているわけですから、ピリピリとした感じが最高潮に達していました。まだ、レギュラーではなかった私はそういったことに直面して、都市対抗の重要性を身に染みて感じたものです。
高校野球もそうですが社会人野球は、勝って喜んで、負けて泣く。自分がいくら打って結果を残しても、甲子園や都市対抗に出場できなければ意味がありません。だから、エラーだろうが何だろうが塁に出ることが大事ですし、とにかく相手より1点でも多く点を取ればいい。自分の成績は二の次で、チームの勝利が第一。だから、随所に必死なプレーが表れますが、その“アマチュア精神”が魅力であり、あらためて野球人・辻の原点でもあります。
私は幸いなことに日本通運に在籍した7年間、すべてで都市対抗に出場することができました。その中でも印象に残っている試合の一つは79年、1回戦の大昭和製紙戦です。延長12回、引き分けで、試合が終了したのが夜の12時ごろ。金属バット元年で3対3のスコアなのに、5本のアーチが飛び出した試合でした。再試合は翌日の第1試合。朝早くからなので、非常に大変だった記憶があります。その試合は投手陣が3本塁打を浴びて0対4で負けてしまいました。相手エースは、のちに西武でチームメートとなる左腕の
杉本正でしたね。
あと、ある年の補強選手が三塁しか守ることができないというので、三塁手だった私が仕方なく二塁に回ることになりました。1回戦で敗退したので1試合だけでしたが、ボロが出ることなく、無難に二塁守備をこなすことができました。それを西武のスカウトが見ていたらしく、「辻はセカンドも守ることができるのか」ということで、ドラフト指名につながったという話も聞いたことがあります。
今年の日通は南関東第1代表の座を見事に勝ち取りました。ドラフト注目の投手もいるようですね。過去47回、都市対抗に出場していますが、優勝は64年の1回のみ。私が在籍していたときも、ベスト4が最高成績でした。日本通運ナインには悲願の優勝を目指して、ぜひとも頑張ってもらいたいものです。
PROFILE 辻発彦/つじ・はつひこ●1958年10月24日生まれ。佐賀県出身。佐賀東高から日本通運を経て、83年秋のドラフト会議で2位指名され西武に入団。セカンドとして三井ゴールデン・グラブ8回、ベストナイン5回。93年には首位打者。96年
ヤクルトに移籍し、99年で引退。ヤクルト、横浜のコーチ、
中日のコーチ、二軍監督を歴任。17年から埼玉西武監督となり、18、19年と連覇。22年限りで退任した。