読売巨人ジャイアンツ
FA獲得者 17 FA流失者 8 FA戦略採点 50 [FA獲得選手] 1994年
落合博満[内野手/
中日]
1995年
川口和久[投手/
広島]
1995年
広沢克己[外野手/
ヤクルト]
1996年
河野博文[投手/
日本ハム]
1997年
清原和博[内野手/
西武]
2000年
工藤公康[投手/ダイエー]
2000年
江藤智[内野手/広島]
2002年
前田幸長[投手/中日]
2006年
野口茂樹[投手/中日]
2006年
豊田清[投手/西武]
2007年
小笠原道大[内野手/日本ハム]
2007年
門倉健[投手/横浜]
2010年
藤井秀悟[投手/日本ハム]
2012年
村田修一[内野手/横浜]
2012年
杉内俊哉[投手/
ソフトバンク]
2014年
大竹寛[投手/広島]
2014年
片岡治大[内野手/西武]
[人的補償獲得選手(右端はFA移籍選手)] 2007年
吉武真太郎[ソフトバンク/投手]
小久保裕紀 2012年
高口隆行[
ロッテ/内野手]
サブロー [海外FA移籍選手] 2003年
松井秀喜 2009年
上原浩治 2010年
高橋尚成 長嶋茂雄第2次政権
四番打者乱獲の時代
そもそも
巨人の補強の歴史を紐ひも解いてみると、長く外国人選手獲得には動かなかった代わりに、他球団からの大物獲得がその1つの策であった。例えば、
川上哲治監督時代の“五番打者”探しがそれ。三番・
王貞治、四番・
長嶋茂雄の後を打つポジションには63年の大毎・
柳田利夫を筆頭に、近鉄・
関根潤三、西鉄・
高倉照幸など次々と獲得に動いた。さらには65年にB級選手の権利で移籍を希望した国鉄のエース・
金田正一を相思相愛で迎え入れるなど、新しい血を常に組織に取り入れることで、現有戦力への刺激とするのも目的の1つであったと考えられる。
以降も戦力で劣っている部分を補うという点で、巨人の補強は、それなりに常識的ではあった(78年、
阪神・
江川卓と
小林繁のトレードは例外)。そんな様相をすっかり変えてしまったのが、93年スタートのFAではないか。2度目の監督に就いていた長嶋監督の欲しがり病が、ムクムクと起き上がってしまう。
FA獲得第1号は94年、中日からの落合博満。さっそく同年の国民的行事“10.8決戦”でその中日を破って優勝を飾るなど、3年間の在籍で2度の優勝に四番として貢献した。現在までを考えても、数少ない成功を収めた例だが、97年の西武・清原和博獲得を前に「清原と勝負して負けるとは思わないが、どちらを使うかで悩む監督の顔は見たくない」と自ら身を引く形で自由契約、日本ハムへ移籍となったのは惜しい。

▲FAでの獲得第一号は落合。3年と短い在籍も、94年の「10.8」でのVなど印象深い働き
この間には95年にFAでヤクルト・広澤克己を、自由契約となったハウエル、97年には近鉄からトレードで
石井浩郎と、あらゆる手を尽くして各球団の四番を獲得していった。その結果、97年には一塁に清原、広澤、石井が並ぶこととなり、戦力のダブつきは誰の目からも明らか。もう補強とは呼べず、乱獲に過ぎなかったが
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