背番号の数字は決して無機質なものではない。高校野球のポジション番号や球団の伝統もある。偶然、着けた選手から始まり、その選手へのあこがれから後輩が希望し伝統を作った番号もある。背番号にまつわる歴史は奥深い。ここでは主要番号のポイントをチェックしていく。 #1・ビッグワンの代名詞
巨人の
王貞治の代名詞。ほかにも投手としては珍しい近鉄の
鈴木啓示をはじめ、野手で
中日の
高木守道、
ヤクルトの
若松勉、大洋の
山下大輔、
広島の
古葉竹識、
西武、ダイエーの
秋山幸二ら長く主軸として活躍し、のち監督となる選手が背負うことが多い。ヤクルトでは中心打者の番号として確立。巨人では王、近鉄で鈴木が永久欠番となっている。プロ野球草創期には
阪神がイロハ順で
伊賀上良平、阪急では契約第1号の
宮武三郎が着けた。
#2・俊足、巧打の系譜

高橋(広島)
盗塁王経験者が広島の
高橋慶彦、巨人の
松本匡史、ヤクルトの
飯田哲也、中日の
荒木雅博ら。巨人の名遊撃手・
広岡達朗も背負い、上記の選手も守備の名手だった。ヒットメーカーの系譜ともいえ、近鉄の
小玉明利、中日の
田尾安志などもいる。もうひとつが高校野球の捕手の2。南海の“ドカベン”こと
香川伸行、
日本ハムの
小笠原道大は捕手としての入団だった
#3・長嶋以前と以後

長嶋(巨人)
これはもう巨人の
長嶋茂雄しかいない。ただ、長嶋以前もそうそうたるもので、もともとベーブ・ルースが着けた番号で、巨人では史上初の三冠王・
中島治康、猛牛・
千葉茂、東映の“青バット”
大下弘の背中で輝いた。長嶋以後は、長嶋にあこがれたスラッガーたちの番号となり、そのなかで大成したのが、広島の
衣笠祥雄、阪急の
長池徳士ら。その後は西武時代の
清原和博が着け、今度は清原にあこがれた世代の番号ともなった。
#4・セカンドの名手と助っ人

大石(近鉄)
日本語の響きで「死」を連想させることもあってか、必ずしも好まれた番号ではなかった。ポジション番号でもあり、二塁手が着けることも多く、近鉄の
大石大二郎、広島の
正田耕三、西鉄の
基満男らがいる。日本人が避けたこともあって助っ人たちの定番にもなり、阪神のバッキー、阪急の
マルカーノ、ヤクルト、近鉄で優勝に貢献したマニエルも印象深い。阪神では代打男の
川藤幸三が長く着け、のち
藪恵壹の背中にも。
#5・内野手とスラッガー

新庄(阪神)
三塁のポジション番号であるが、長く着けている選手を見ると
角富士夫三塁手、広島の
藤井弘一塁手、横浜の
石井琢朗遊撃手、西鉄の
仰木彬二塁手、西武の
辻発彦二塁手と内野手でもポジションは様々、阪神時代の
新庄剛志のように外野手も珍しくない。スラッガーの番号でもあり、
ロッテのリー、中日時代の
大島康徳、巨人移籍以降の清原和博、近鉄時代の
中村紀洋、西武、中日の
和田一浩、現役で
ソフトバンクの三塁手・
松田宣浩らがいる。
#6・二遊間の生え抜きたち

落合(中日)
生え抜き二遊間選手で比較的長く着ける選手が多い。巨人では
土井正三、
篠塚和典ら二塁手が代表的で、いまは遊撃手の
坂本勇人。阪急の
大橋穣、中日時代の
井端弘和、ヤクルトの
宮本慎也と名遊撃手が並ぶ(井端は二塁でも実績)。阪神では草創期の豪打者・
景浦将の背中で輝き、
藤田平、
和田豊の遊撃手、現監督の
金本知憲が着けた。金本もそうだが強打者の番号でもあり、西鉄の
中西太、ロッテ、中日時代の
落合博満らがいる。
#7・左の巧打者多し

福本(阪急)
もともとレフトの左打者の番号・・・
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