移籍はチームを大きく変えるが、逆にチームの内部分裂を引き起こすこともある。特集の最後に歴代の移籍事情についていくつかのテーマに分けて紹介する。どれもひどく人間臭い──。 ケース1:優勝を目指し大物取り!
ロッテ時代のような活躍はできなかったが、中日の88年優勝は落合[右]の力が大きかった
“強奪”とも言われたのが、1948年オフの南海のエース、
別所昭(のち別所毅彦)の
巨人移籍だ。ルールが確立していなかった時代とはいえ、同年優勝チームのエースを2位のライバル球団が選手交換、金銭もなく、だまし討ちのように引き抜くのだから物騒な話だ。結果的には別所は51年からの巨人黄金期を支える大きな力となった。
49年オフには2リーグ分立でチームが急増し、仁義なき引き抜き合戦となった。
阪神から
別当薫ら主力が大量移籍したパ・リーグの毎日が、大映から
小鶴誠らを獲得したセの松竹と第1回日本シリーズで戦い勝利。いわゆる引き抜きの勝利者が両リーグのチャンピオンとなっている。
63年オフには、大毎の四番・
山内一弘、阪神のエース、
小山正明の「世紀の大トレード」。山内は同年阪神の四番として31本塁打を放って優勝に貢献し、小山は30勝をマークした。当時はバリバリの主力同士の交換トレードは皆無だった。
移籍をチーム力アップの手段としてフル稼働させたのが、巨人・
川上哲治監督だ。その筆頭が65年、国鉄から加入した
金田正一。全盛期は過ぎていたが、真摯に練習に打ち込む姿に
長嶋茂雄、
王貞治らの目の色が変わり、400勝左腕は同年から始まったV9の礎となった。資金力に抜きん出て、常勝を義務付けられた(と自分たちで感じていた)巨人は、長嶋監督時代にも大型補強を続ける。就任1年目の75年、最下位に終わると、
日本ハムの
張本勲を獲得、76、77年の連覇につなげた。
大物移籍では
江夏豊が何度も主役となった。阪神から南海、さらに
広島への移籍は別項の“内紛”のジャンルで説明するが、79、80年と広島連覇を支えた後、81年、日本ハムへの移籍は“優勝請負人”と呼ばれてであり、初年度の81年の優勝につなげ、MVPに輝いている。
86年オフには、2年連続三冠王となったロッテ・
落合博満が移籍志願をし、
星野仙一が監督となったばかりの中日へ移籍。中日側は若手の成長株・
牛島和彦、
上川誠二らを放出する1対4の大型トレードとなった。
ケース2:チーム改革!血の入れ替え
しがらみのない外国人監督ならでは。大胆なトレードでチームを変えた広島のルーツ
チームの体質改善のための大量放出もある・・・
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