スタートは鮮烈。ただ、当初は一緒に飛び出した亀山努の陰に隠れた印象もあった。本領発揮はシンカメ(カメシン)・ブームが終わってからだ。 背番号63時代の新庄
ファンの心をわしづかみにした男
最初からスポットライトを浴びていたわけではない。
ドラフト5位、甲子園出場もなし。ソリの入った角刈りで挑んだ入団会見では、「僕はサッカーが好きだったんで、プロ野球はあまり興味がなかったんです」と言って、周囲をあぜんとさせている。
1年目の90年、二軍でも打率.074。それでも
柏原純一コーチとのマンツーマンで打撃を磨き、着実に力をつける。当時は外野手だったが、秋季キャンプに視察に来た、OBで伝説の遊撃手・
吉田義男氏が「あの身体能力はショートに向いている」とコーチに勧め、内野手に転向。実際、瞬発力、握力、背筋力などの数値はずば抜けていた。
翌91年終盤一軍へ。初打席でヒット、打点も、その後、バットでの見せ場はほとんどない。ただ・・・
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