1995年(平成7年)、ドジャースでメジャー・デビューを果たした野茂英雄から始まり、平成の時代は多くの日本人プレーヤーが海を渡って、メジャー・リーガーとして活躍。「日本人はメジャーでは通用しない」という固定観念を崩すとともに、「メジャーのレベルの高さ」をあらためて感じさせることにもなった。 ※文&データ=蛭間豊章(報知新聞)、写真=Getty Images 
2019年の開幕第2戦、日本で現役生活にピリオドを打ったイチロー
メジャーに“スピード”を再認識させたイチロー
日本人野手は2001年、ポスティングシステムでマリナーズと3年契約を結んだイチローと、FAでメッツ入りした
新庄剛志が最初だった。日本プロ野球で7年連続首位打者を獲得していたイチローは快足を生かして内野安打の山を築き、いきなり打率.350、そして56盗塁で2つのタイトルを獲得。新人王だけでなく日本人選手初のMVPに輝き、パワー野球がもてはやされていたメジャーに、攻守走にわたる面でのスピードという概念をあらためて認識させた。
打撃面では1年目からメジャー初の10年連続の200安打をマークしただけでなく打率3割に、1年目から3年連続ファン投票1位となったオールスター戦出場も10年続けた。守備面でも1年目にレーザービームという言葉を定着させた強肩好守によってゴールドグラブ賞選出も10年連続だった。その間、2004年には2度目の首位打者だけでなく、シーズン262安打のメジャー新記録もマーク。また、2007年のオールスター戦では球宴史上初のランニング本塁打を放ってMVPにもなった。2010年終了時には通算打率.331をキープしていた。試合に対する日々の努力によって故障者リスト入りはわずか1度(2009年)というケガに強い強靱な体力で45歳までメジャーでプレーし続けたことは称賛に値する。ただ、2016年に史上30人目の通算3000安打をマークしたものの・・・
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