2019年7月14日現在で1256人を数える外国人選手。このコーナーでは歴代助っ人のこぼれ話を紹介していく。球界のレジェンドたちの昔話。いろいろなドラマがそれぞれにあった。 
俊足巧打の内野手として活躍
現在の球界で一
大勢力となっているのが、キューバ出身選手だが、そこには2つの潮流がある。一つは社会主義国家であるキューバの野球連盟からの派遣、
ソフトバンクの
デスパイネ、
グラシアルらがそれにあたる。もう一つが亡命組。
巨人の
ゲレーロはハイチに亡命し、今の国籍もハイチだ。キューバの野球選手の亡命はあとを絶たず、メジャー・リーガーも多い。また、正式ルートで巨人に入団し、退団後、キューバに戻らず行方不明となり、のち亡命と分かった
ホセ・ガルシアのような例もある。
そして唯一無二、この2つの潮流と関係なく、日本でプレーしたキューバ人選手が阪急、近鉄にいたバルボン、愛称チコだ。バルボンは13歳のときアメリカに渡り、ドジャースのマイナーでプレーしたが、あまりにひどい人種差別に嫌気がさし、キューバに帰国。ウインター・リーグでプレーしていたところで阪急の村上実代表に声をかけられ、来日を決めた。年俸は1万ドルだったという。日本に対する知識はまったくなく、島国と聞いたから、フィリピンやハワイのようなところだと思っていたらしいが、1955年3月、羽田空港で白いものを見て、びっくりした。雪だ。「アラスカかと思った。こんな冷蔵庫みたいなところで野球なんてできるのか」と思ったという。
それでも必死に野球に取り組み、日本の文化に溶け込もうとした。キューバの実家に仕送りしなければならないからだ。1年目から49盗塁、58年からは3年連続盗塁王にもなり、陽気な性格で誰からも愛された。
だが、59年1月にキューバ革命が起こり、母国と自由に行き来できなくなった。バルボンは日本に骨を埋める覚悟をし、日本人女性と結婚。その後、88年に一度だけ
広島のキューバ遠征の際に同行したというが、親兄弟もすべて亡くなっており、「もう帰る理由もないわ」と言った。
65年引退。その後も阪急で通訳などをし、独特の関西弁での超省略通訳で人気があった。