ここでは球団別の「エースの系譜」をたどっていく。チームを幾多の栄光に導いた者、低迷期を孤軍奮闘で支えた者……。彼らがなぜ「エース」と呼ばれたのか、あらためて考えてみたい。 ※エース選定は編集部、通算成績は他球団含む 村山実 
在籍1959-72通算222勝147敗、防御率2.09
1球に魂を込めた村山
投手有利の広い甲子園が大エースを生み続けている。1959年に入団した村山実。体を目いっぱい使った投球が、52年のヘルシンキ五輪のマラソンなどで金メダルを獲得したザトペックの苦痛の表情を浮かべて走る姿を彷ふつさせることから「ザトペック投法」と言われた。
59年の
巨人との天覧試合(後楽園)で
長嶋茂雄にサヨナラ本塁打を打たれた。後年の巨人戦で、球審に涙ながらに「1球1球に命を懸けとるんや!」と猛抗議したこともある。この精神こそがエース・村山実だった。リーグ優勝した62年には25勝、64年には22勝でエースとして大きく貢献。また「長嶋こそ巨人であり、倒さねばならない男」と球界のスターに真っ向勝負を挑み続け、悲壮感あふれるピッチングがファンを魅了した。
「タイガースは私の人生だった」と語り
阪神一筋222勝を挙げた村山は「2代目ミスタータイガース」として多くのファンから愛された。その村山から次のエースとして指名されたのが・・・
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