巨人の第45代四番打者で219試合を経験した野球解説者の中畑清氏。打撃コーチ時代は新人の松井秀喜氏(元巨人ほか)を指導し、DeNA監督時代には筒香嘉智(現レイズ)を四番に育てた。その偉大な2人の四番打者を身近で見てきた中畑氏が、四番の条件について語る。 取材・構成=椎屋博幸、写真=BBM 
打撃コーチ時代に松井秀喜を、DeNA監督時代に筒香嘉智というスラッガーを指導してきた中畑氏
若き四番候補が持つ独特のオーラ
松井秀喜が高卒で入団してきたときも、DeNAの監督に就任し、筒香嘉智に出会ったときも、同じような「オーラ」を感じたという。それは「この男に懸けてみたい」というほかの人とは違う人間性を持っているから。それが四番としての一つの資質だと語る。 子どものころは、巨人軍の四番と言えば「球界の四番」だと思っていましたね。もちろん当時は
長嶋茂雄さんがその打順に入って華麗な活躍をしていましたから、当然四番というものはそういう役割なんだと思っていました。私自身は巨人に入団するときに、巨人軍の四番になったら、どういうものを背負うのかな、と思っていました。実際に四番を任され、打ってみてあらためてこのポジションは「球界の四番」という看板を背負うことなんだと感じました。まあ、今回は私自身のことは置いておきます。
1993年に長嶋茂雄監督が現場復帰して、私も打撃コーチとして呼ばれました。と同時に星稜高から、松井秀喜が入団しました。このときはまだ高卒すぐで松井が四番に、という考えはなかったのですが、「いずれは」ということは思っていましたね。持っている才能は、すごかったですからね。
でも私の巨人軍打撃コーチは2年間だけ。だから松井との付き合いも2年間のみ、その中で、さらに真剣に向き合ったのは約半年くらいでしたね。高卒後、一番不器用なときに担当していたので、今思うと、よくあそこまで覚醒し、成長したなと思いますね。それはやはり長嶋さんと松井が出会えたことが一番大きなことだったと思います。

松井[右]には2年間だけの指導となったが、将来的に四番になる資質は十分に持っていた
93年の春季キャンプで長嶋監督が、
張本勲さんを臨時打撃コーチに招へいしました。このとき松井に「すり足打法」を指導したのです。しかし松井は頑として張本さんのすり足打法を受け入れなかったんです。若いとき、特に結果が出ているときは、自分のスタイルを貫き通したい。自分の打撃を崩してまで、違う打ち方にする選手なんて誰もいません。松井もそれと同じでした。私もそのことは十分に分かっていましたので、余計なことは言いませんでした。でも、本当に、あの張本さんの言うことをまったく聞かなかったんですよ!(笑)
張本さんも私に「まったく聞かない」と嘆いていましたが、実は、私は松井にこう言ったんです。「今は聞かなくてもいい。でも・・・
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