1998年のセ・リーグ新人王争いは、プロ野球の歴史の中でもまれに見る激戦(※得票数を除く)だった。本命と見られていた巨人・高橋由伸(慶大)と中日・川上憲伸(明大)の東京六大学ライバル対決に、阪神・坪井智哉(東芝)と広島・小林幹英(プリンスホテル)が参戦。最終的には川上に敗れる形となった新人王レースと、1年目のシーズンを高橋が語る。 
プロ1年目の高橋由伸。ヤクルトとの開幕戦に七番・右翼でデビュー後、コンスタントに結果を残した
中日・星野仙一監督はストーリーが見えていた?
――1998年の入団ですが、新人年を振り返るときに、まれに見る大激戦の新人王争いを無視することはできません。あれから22年が経ちますが、どのように振り返りますか。
高橋 新人王のタイトルを意識していなかったわけではないんです。「候補の1人」とシーズンに入る前から言われていましたから。そこには(川上)憲伸がいたり、小林幹英さんの名前もあって。坪井智哉さんはシーズンの途中で規定打席に達して、急に争いに加わってきたのかな? ただ、僕はこのタイトルを開幕してから漠然としかとらえられていない節もあって。今振り返ると、そこまで執着していなかったのかもしれない。なるようにしかならないし、正直なところ、すごい戦力のジャイアンツに入って、自分の居場所をつかまなければいけないという問題もあったのも事実です。シーズンが進んで、いよいよ終盤というときに、僕も含めてこの4人の名前がクローズアップされるようになって、そのくらいからなんです。新人王を争っているんだな、という記憶があるのも。
――最終的に、14勝を挙げた川上憲伸さんがタイトルを獲得します。
高橋 最近、何かのインタビューで憲伸と……取材は別々でしたけど「新人時代を振り返る」というような企画があったんです。で、よくよく聞いてみると、憲伸は当時の中日監督の星野(
星野仙一)さんにだいぶはっぱをかけられていたみたいですね。「高橋由伸を抑えて、新人王を獲るんだ!」と。しかも、春のキャンプくらいのタイミングから言われ続けていたみたいで、言葉が正しいか分からないですけど、洗脳に近いですよね。憲伸が話しているのを聞いたときに、「ああ、そうか」と少し納得した部分もありました。憲伸自身が意識したのか、意識付けされたのか、とにかく・・・
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