鹿児島の離島・奄美大島に潜在能力抜群のサウスポーがいる。今春のセンバツでは初戦敗退も、高校日本代表第一次候補29人に入った。心身とも充実し、期待はふくらむばかりだ。 取材・文=岡本朋祐 写真=上野弘明 大島高のグラウンドは、校舎から急勾配の坂道を上がった場所にある。生まれ育った、奄美への愛着は強い
高校進学で島に残った理由
昨秋、大島高は鹿児島の離島勢として初めて県大会を制し、九州大会準優勝。事実上、今春のセンバツ出場を当確とさせる九州大会準々決勝まで、
大野稼頭央は公式戦9試合、89イニングを一人で投げ抜いた。
「南海の怪腕」は身体能力抜群。中学生まではバック宙、今でもバック転ができる。175センチ65キロと細身に映るが、体全体がバネのようにしなる。奄美空港から車で約20分の龍郷町出身。大島高校野球部OBの父・裕基さんが、かつて
西武で活躍した西武・
松井稼頭央のファンだったことから、「カズオ」と名付けられた。「ポジションも異なり、幼少時はそこまで意識することはありませんでした。こうして取り上げていただくたびに、存在のすごさを感じています」。大島高へはバスで約40分をかけて通学。九州大会では3日間、28イニングで467球を投げたが、スタミナ源は幼少期に育まれた。かつて西郷隆盛が約3年過ごし、自然に囲まれた地域で運動センスが磨かれた。大野は「一日中、走り回っていた」と明かす。
小学1年からソフトボール、3年から野球を始めるが、同時に週1回、体操教室に通い、柔軟性を高めた。龍南中は部員数が少なく、赤徳中と編成した龍郷選抜では、離島甲子園で4強。大野の実力は、大島地区でも抜きん出ていた。高校は奄美大島から離れ、鹿児島市内にある強豪私学への進学も視野に入れていた。だが・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン