特集の最後は、ベーブ・ルースがどのように野球を人気スポーツへと引き上げたのか。その歴史が、今後大谷が進むべき道を示している。野球歴史研究家のグレン・スタウト氏の視点から考察していく。 文=奥田秀樹 写真=BBM 
ベーブ・ルースが打つ本塁打を見るために外野席が設けられ、野球ファンを増やし、メジャースポーツになっていった。大谷も才能を生かし、ルースのような役割を求められているが……[写真は1934年の来日時]
スターはしかるべき場所での活躍が必要
1910年代のレッドソックスについて詳しく著作も多い歴史家のグレン・スタウト氏(63歳)が歴史的な観点から興味深い意見を口にしていた。
「
大谷翔平や
マイク・トラウトがチームを強くできないエンゼルスに押しとどめられているなんて恥ずべきことだ。球界の最高のスターがポストシーズンに出られない。なぜ彼らは再建が必要なチームで時間を無駄にしないといけないのか」
特別なスターは、しかるべきステージに立つことで、多くの人々の記憶に残る活躍をする。スタウト氏が子どものころはレジー・
ジャクソンがいた。「レジーは
ヤンキースに行ってメガスター(最高級のスター)になった。アスレチックスでも73年にMVPに選出されるなど素晴らしい選手だったが、ヤンキースに移り77年のワールド・シリーズのドジャース戦で3打席連続本塁打をかっ飛ばし、ミスター・オク
トーバーのニックネームを授けられた。彼は『自分がNYに行けばキャンディーバー(棒状のお菓子)に名前が付くだろう』と予言していたが、まさにそのとおりになった」と言う。
ベーブ・ルースもそうだ。18年ルースは11本塁打で初めて本塁打王に輝いたが、実はその年本拠地フェンウェイ・パークでは本塁打は0本だった。「18、19年によく本塁打を打ったのはライトが極端に狭いニューヨークのポログラウンドで、逆にライトが深いフェンウェイ・パークではなかなかサク越えを打てなかった。だからレッドソックスに残っていても同じように偉大な本塁打王になったかどうかは定かではない」とスタウト氏。
20年、MLBは飛ばないボールを使い続けるデッドボール時代にピリオドを打ち、ライブボール時代に移行した。ルースは20年にヤンキースに移籍、23年「ルースが建てた家」と呼ばれたヤンキー・スタジアムが出来上がった。当初右翼スタンドまでの距離は89.8メートルだった(のちに95.7メートル)。
「かつて外野フェンスは、お客さんがフィールドに入ってこられないようにするためのもので、それ以上の意味はなかった。それが、ルースのフェンスを越すパワフルな打球に人々が熱狂するようになった。フェンスがドラマを生むようになったのはルースのおかげ」。特別な才能を持つ選手はスポーツそのものを進化させていくのだ。
「今、野球はアメリカのNo.1スポーツではない。私はNFL(プロフットボール)、NBA(プロバスケットボール)に次いで3番目だと思う。大谷は誰もが不可能だと決めつけていた二刀流を実現し、両方トップレベルのプレーを見せている。野球界は彼の才能を無駄にすべきではない」。ルースのように野球を次の時代に向け進化させるけん引車、歴史家の目には大谷がそのように映っている。