ここではプロ野球界で生まれた背番号エピソードをクイズ形式にして出題する。問題数は計21問。あなたはいくつ解くことができる? Q1.『55』の本塁打王は過去に何人いる? 2023年、シーズン歴代2位の56本塁打を放ち本塁打王に輝いたヤクルトの
村上宗隆の背番号は『55』。過去にも『55』の本塁打王がいるが、村上含めて合計何人?
A1.5人 王貞治のシーズン55本塁打にちなみスラッガーに着けられた『55』。その番号を背負って初の本塁打王を獲得したのは
中日の
大豊泰昭で、プロ6年目の1994年に打点王との2冠を達成した。そして98、2000、02年に
巨人の
松井秀喜が獲得。10年にはT-岡田(
オリックス)、14年に
エルドレッド(
広島)、21、22年の村上宗隆と続く。
Q2.永久欠番第1号は2人。1人は沢村栄治。もう一人は誰? 日本プロ野球の永久欠番は18個。初めて制定されたのは1947年7月9日で、巨人の沢村栄治の『14』ともう一人。その選手と背番号は?
A2.黒沢俊夫 黒沢俊夫は関大から1936年に名古屋金鯱に入り、44年から巨人へ入団した左打ちの外野手。終戦後プロ野球が再開された46年から背番号4を着けた。47年6月「痔じが悪化したようだ」と入院すると、その1週間後に腸チフスで急死。その後、
千葉茂ら多くの選手の申し出もあり、黒沢の『4』は戦死した伝説の大エース・沢村栄治とともに永久欠番となった。メジャー・リーグでは39年にルー・ゲーリッグ(
ヤンキース)の『4』が初の永久欠番。
Q3.楽天の山崎武司が『7』を選んだ理由は? 中日では『22』、オリックスでは『5』を背負った山崎武司は3球団目となる楽天では背番号『7』を着けたいと球団に希望した。その理由は・・・
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