ここからは、球団ごとに脈々と継承されるスペシャルナンバーの系譜をたどっていこう。一つの番号を掘り下げていけばチームの“色”も見えてくる。 積み上げてきた功績が、チームの顔と呼ぶにふさわしい番号へと変えていった。その価値をぐっと引き上げたのは、やはり前田智徳だろう。非凡な打撃センスと正確なバットコントロールは球界でも一目置かれ、現役時代についた異名は「孤高の天才」だ。5年目に背番号を『1』に。1995年に負った右アキレス腱断裂の影響で、以降は故障と戦いながらのプレーとなったが、卓越した打撃技術で安打を量産。2007年には通算2000安打を達成している。何より低迷するチームを支え、
広島一筋でプロ野球人生を全う。今もファンから愛され続けている。
前田の存在の大きさもあって、引退後、長らく空き番号(準永久欠番扱い)になっていたが、ついに後継者が。それが
鈴木誠也だった。こちらも前田とはタイプの違った“天才打者”だ。パワフルな打撃で、広島の四番から日本の四番に。ついには日本球界を飛び出してメジャーへ移籍した。
黒田博樹の『15』のように、『1』も主人の帰りを待っていると言っていい。

鈴木誠也
彼ら以外にも、打撃に限らない天才的なプレーでファンを魅了した選手は多い。名将として名高い
古葉竹識(58〜63年は旧名の「古葉毅」)も、2年目から『1』を背負ってプレー。自慢の足を武器に2度の盗塁王(64、68年)に輝いた。
日本ハムから1975年に移籍した大下剛史は、1年目からリードオフマンとして44盗塁で盗塁王。チームのリーグ初優勝に大きく貢献した。同じくリードオフマンでは
山崎隆造も俊足巧打が光った一方、体が強くて84〜89年まで全試合出場を6年間続けている。
前田、鈴木と来て、『1』は簡単に背負える番号ではなくなった。『3』『8』『15』のように永久欠番となる日も近いかもしれない。
PICK UP! 我がチームの出世番号「#51」「#63」
“主役”へと続く期待の道 BIGな番号で、BIGな活躍を。その先に待つのは、チームをけん引するレギュラーポジションと1ケタ番号だ。『1』を背負った前田智徳、鈴木誠也も、入団時は『51』だった。現在の小園海斗も不動の正遊撃手を目指す。『63』も
丸佳浩(現
巨人)→
田中広輔→
西川龍馬がチームの中心へと押し上げ、今季からはドラフト2位ルーキー・内田湘大の下に。
■背番号『1』の変遷 
※1=1953年限りで現役引退、コーチとなり背番号変更。※2=57年限りで現役引退、同年から兼任だったコーチ専任に。※3=59〜63年は旧名の古葉毅。※4=2013年はコーチ補佐兼任