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昭和ラスト9年間のプロ野球 激動と波乱の記憶

【パンチ佐藤が振り返る「昭和の野球」】Part.4『メディア』 景気が良ければ羽振りも良い

 

プロ野球のリーグ戦が始まったのは昭和9年(1936年)だが、ここでは現役最年長選手の石川雅規(ヤクルト)が生まれた昭和55年(1980年)から9年間の「昭和のプロ野球」を振り返ってみる。その年に球界では何が起こり、日本はどんな時代だったのか。OBのパンチ佐藤さんには「昭和の野球」について語ってもらった。

1984年オフのテレビ番組収録の写真。司会者は徳光和夫アナウンサー


 日本経済が元気だった昭和は、オフになるとプロ野球選手による12球団対抗運動会、12球団対抗歌合戦、そういうテレビ番組がたくさんありましたよね。東京で収録して、その次は大阪で別の局の別の番組を撮ったりして。靴からジャージから全部新品。僕は神戸だったから、東京までの新幹線はグリーン車で、東京駅でハイヤーが待っていて、高級ホテルに荷物を置いてから収録。収録が終わってホテルの部屋に戻ると、「お疲れ様でした」というメッセージとともに花束が置いてある。食事はホテルの高級レストランで、サインすればテレビ局持ちで何でも食べていい。そのうち、飽きちゃったから地元の友達に「お前、泊まっていいよ」と譲って、自分は川崎の実家に帰ったりしてね。いい時代でしたよね。ギャラも取っ払い(その場で現金払い)でしたから。

 メディアも景気が良かった。春季キャンプでは・・・

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