アマチュア最高峰の社会人野球もシーズン真っただ中。日本選手権の出場権をかけたJABA大会も各地で開催、5月は都市対抗野球大会の予選が本格化してくる。神奈川・川崎市を拠点に活動する名門・東芝にも、勝利と今秋の「運命の一日」を目指し汗を流す選手がいる。 文=楊順行、写真=田中慎一郎、佐藤真一 リハビリ期間の学び
「思い切り腕を振って投げてみろ」
2023年、東芝に入社後すぐのブルペン。神野竜速は捕手の柴原健介(日大、現コーチ)にフォークを要求された。リーグ通算15勝の神奈川大時代も、たまに投げてはいた球種。だが、その日の調子によってまるで落ちなかったり、抜けたりで、実戦で使うには心許なく、だから大学ではスライダーを主武器にしていた。
そこまでの神野は、「指は短いし、手も小さいんです。フォークを投げるとしても遊び半分で、思い切り腕を振る感覚はありませんでした」。だが、半ば開き直り、行き先はボールに聞いてくれ、と投じると、自分でも驚くほど落差があった。シート打撃などで対戦した同僚からも「あの球、いいぞ」とお墨付き。自信のなかったフォークが威力抜群、いまや代名詞となるのだからおもしろい。
横浜生まれの神野。東京六大学でのプレーを夢に見て「高校は法政二に進みたかったんですが」かなわず、
西武台千葉高へ。そこでは3年春に6回参考ながら完全試合を達成するなど、才能の片鱗を見せてはいた。それでも千葉県では3年夏の西千葉大会8強が最高成績。ただ、進んだ神奈川大では1年春からベンチ入りすると3年春からは主戦となり、最優秀投手を獲得するなどリーグを代表する右腕として社会人入りした。
繰り返すがもともと大学時代、自信があったのはスライダーだ。だが入社するといきなり「(フォークを)投げてみろ」である。神野は言う。
「指も大きくは開かないし、フォークを投げるには向いていないと思っていたんですね。ただ、参考になったのは東芝の先輩の吉村さん(
吉村貢司郎、現
ヤクルト)。左足をぶらぶらさせるような、いわゆる“振り子投法”で投げていて、それをマネしてみたら上から叩くような投げ方の感覚が分かったんです。それで、フォークがよく落ちたのかも」
プロ入りした吉村の投球を、神野が見たのは大学4年時。その感覚は、振り子による“間”の取り方に、「指が短くてもフォークボールを投げるためのコツ」があったのだろう。それが「真っすぐとフォークで打者を牛耳る」社会人屈指のセットアッパーにつながっている。
だが、その矢先の5月、それまでだまし続けていた肘の痛みが限界に達し、トミー・ジョン手術に踏み切った。リハビリ期間は当然、トレーニングに汗を流すしかない。同じ東芝では
下山悠介(慶大)など、同期入社組の野手はバリバリ活躍している。焦りがないといったらウソになる。それでも、神野は言う。
「チームに迷惑をかけていますし、焦りましたが、自分でできることは何かを考えたら、勉強するしかありません。ネット裏から試合を見ながら、こういう球に打者はどう反応するのか、この投手はどういう配球をするのか、観察を深めるようになりました。出力100で投げられるようになったのは去年の3月くらい。リハビリ中に見て学んだ打者の反応の仕方など、観察の成果が今のマウンドで生きていると思います」
なるほど。今季は、「基本的にはストレートとフォークのみ」ながら、3月末からの主要大会で、救援登板した5試合8イニングを連続無失点と圧巻の投球を見せる。6試合目にはサヨナラ本塁打を浴びたが、本人の分類では「フォークのみ」でも、ツーシーム系など微妙な横の変化もあり、スライダーで目先を変えられるため、打者も手こずるのだ。「過去2年はチームに貢献できませんでしたが、東芝が勝つも負けるも自分次第というつもりで投げています。目指すのは都市対抗優勝。自分のプロ入りは、その結果次第です」。

「目指すのは都市対抗優勝。自分のプロ入りは、その結果次第です」神野竜速
PROFILE かみの・りゅうどう●2001年2月19日生まれ。神奈川県出身。180cm83kg。右投右打。岡村小1年時に横浜モンキーズで野球を始め、岡村中では横浜南シニアに所属。西武台千葉高では3年夏の西千葉大会8強。神奈川大では1年春からベンチ入りしリーグ通算15勝。3年時に明治神宮大会、4年時に全日本選手権に出場。2023年に東芝に入社、3年目を迎える。最速154キロ。変化球はスライダー、フォーク。
初の東京ドーム目指し
その都市対抗で東芝は、10年に歴代2位となる7回目の優勝を果たしている。ただ昨年は本大会出場を逃すなど、いまひとつ元気がない。
「(流経)大学2年のときに、初めて都市対抗を見に行ったんです。東京ガスとホンダ熊本の決勝でした。負けましたけど最終回に1点差まで追い上げたホンダ熊本の応援がすごくて、こんなに熱狂的な野球があるのか、自分もこの舞台でプレーできたら、絶対におもしろいと思いました」
そう話すのは、入社2年目の萩原義輝だ。学年で一つ上にあたる神野とは、大学3年時に全日本大学選手権で対戦し、「過去、一番気持ちよかった」というホームランを打っている。それがいま、同じチームでプレーというのも、なかなか味のある球運だ。昨年の萩原は、ルーキーながら夏以降に定位置を獲得し、日本選手権でもマスクをかぶった。ただ、本格的に捕手に取り組んだのは、大学に進んでからだという。
「(東海大相模)高校に入るまでは投手兼内野でしたが、(門馬敬治)監督に『ピッチャーのボールじゃない』と言われ、内野に専念したんです」
そしてたまたま、正捕手がケガをした期間、代役を務めた。「まるで未経験。どんなミスをしても知りませんよ、というつもりでした」と本人は笑うが、適性があったのだろう。関係者がそのときのプレーを目にした流経大に進むと、在学中にベストナインを3度獲得。プロも注目する存在にまで成長するのだから、門馬監督の目に狂いはなかった。
社会人入りしてからは、「キャッチャーとしてのスキル不足」を痛感して最初は苦しんだが、「負けた試合を反省材料に、『なぜあの球が打たれたのか。あそこではこういう選択肢もあったのでは』などと積極的に投手とのコミュニケーションを取ったり、自分の意思を明確に伝えるようにしながら会話の質を上げて」引き出しを増やしていった。今でも反省材料にしているのは、昨年の日本選手権だ。ホンダとの準々決勝、6回に同点に追いつかれたあと、代打にグランドスラムを浴びて逆転されている。
「捕手という立場からして、どうしても点をやりたくないと考えがちでした。代打ですから、考え方次第では投手のほうが優位のはずなのに……。今は、1点取られたとしても、『最少失点ならいい。9イニングあるんだからそれ以上は与えないように』と見方を変えるようにしています。そうすれば、リードに余裕が持てると思うんですよね」
打撃面でも、試行錯誤の繰り返しから手応えをつかんでいる。
「それまでの自分は、ストライクなら全部振ろうと欲張りすぎていたんですが、都市対抗出場を逃して夏の間はとにかくバットを振り込みました。その過程でスタンスをオープン気味にしてみたら、ボールの見え方がよくなったんです」
昨年の八番から、いまのところ六番に上がった打順はそのまま、進化の証だろう。今季のテーマは得点圏打率を上げることだ。そして目標は都市対抗V。萩原は言う。「まだ東京ドームでプレーしたことがないんです。なんとしてもあの舞台に立ち、日本一という景色を見てみたい」。それが結果としてプロにつながれば……という
思いは、神野と同じ。大学時代、ドラフト指名漏れを経験したのも2人とも共通している。

「なんとしてもあの舞台に立ち、日本一という景色を見てみたい」萩原義輝
PROFILE はぎはら・よしあき●2001年4月6日生まれ。千葉県出身。180cm85kg。右投左打。高野山小1年時からリトルジャガーズで野球を始め、6年時には
ロッテジュニアに選出。我孫子中では軟式野球部に所属し、千葉県選抜メンバーとしてもプレー。東海大相模高では捕手、内野手を守るスーパーサブ。流経大では捕手に専念し1年秋から正捕手をつかむとリーグでは捕手部門でベストナインを3度受賞。東芝では1年目の夏場から主戦捕手を務め、2年目の今季もスタメンマスクをかぶる。
<白熱の地区予選>都市対抗野球大会二次予選 開幕日一覧
北海道[1] 7/4[札幌円山]
東北[2] 6/19[仙台市民、石巻市民]
北信越[1] 6/26[長野オリンピック]予定
北関東[3] 6/28[太田市運動公園]
南関東[2] 6/2[千葉県総合SC、ZOZOマリン]
東京[4] 6/12[大田、神宮]
西関東[2] 6/30[横浜、等々力]
東海[6] 6/5[岡崎レッドダイヤモンド]
近畿[5] 5/27[わかさ京都]
中国[2] 6/26[マスカット]
四国[1] 7/4[春野]
九州[2] 6/2[小郡市、久留米市]
※[]内数字は代表枠数、[]内は開催球場。
※本戦は8/28から東京ドームで開催