チームの代名詞である「赤ヘル」誕生の年となった1975年。悲願のリーグ初優勝には、それを支えた確固たる強さがあった。50年の時の流れは、常識さえも変えていく。その中で、受け継がれる「カープの伝統」とは。3年目を迎えた新井貴浩監督の采配の端々に、その一端が息づいている。 文=前原淳 写真=井田新輔、井沢雄一郎、BBM 
1975年10月15日、巨人戦[後楽園]に勝って優勝。古葉竹識監督が胴上げで笑顔を見せる
イデオロギーの継承
赤い波が揺れるマツダスタジアムで、3年目を迎えた新井カープが奮闘を続けている。シーズン前の評価は、今年も高くはなかった。「印象はあえてここでは言いませんが、“なるほどね”と。われわれは戦いながら強くなっていきたいと思っている。今から伸びる選手もたくさんいるが、いきなりパーンと良くなるもんじゃない。こちらも忍耐強く構える必要はある」。新井貴浩監督はシーズン前から“我慢の戦い”を覚悟しつつも、チームの可能性を感じていた。
原爆投下から5年後の1950年、
広島の復興の象徴としてプロ野球球団「広島カープ」が誕生した。創設から7年後には中国地方初のナイター球場が完成し、カクテル光線はグラウンドだけでなく広島県民の心にも光を灯した。その希望がまばゆい輝きを放ったのは、ジョー・ルーツ監督の提案から帽子とヘルメットが赤に変わった1975年。創設から25年、念願のリーグ初優勝を成し遂げ、広島の街は熱狂の渦に包まれた。人々は喜び、叫び、そして涙を流した。
その年、ルーツから古葉竹識へと受け継がれた“カープのイデオロギー”が、球団の基盤となった。
山本浩二、
衣笠祥雄、
池谷公二郎ら初優勝に貢献した選手に加え、
高橋慶彦、
大野豊、
川口和久、
北別府学ら生え抜きの選手が黄金期の礎を築いた。投手力を中心に守備を固め・・・
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