三番・遊撃のレギュラーとして1年夏から3季連続で甲子園出場。主将就任の新チームでは四番・捕手を担いセンバツ出場も決めた。しかし、未曽有のパンデミックが日常を非日常へと反転させ、表舞台を、仲間と白球を追いかける権利までも奪っていった。そんな中、青年は現実と向き合い、夢につながる日々を過ごしていた。 取材・構成=小林篤 写真=毛受亮介、高原由佳、佐藤真一 
内山壮真[星稜/現ヤクルト/捕手]
自身4度目の甲子園となった交流試合。これまでとは違う景色の中で変わらぬフルスイングを見せた
主将が直面した先が分からない不安
2020年2月3日発行の『第92回選抜高校野球大会完全ガイド』(ベースボール・マガジン社)に掲載されたアンケートでは、内山壮真は将来の夢に「一流のプロ野球選手」と回答している。4季連続出場となるはずだった3年春の甲子園は、夢の実現に向けた絶好のアピール機会でもあった。だが、猛威を振るう新型コロナにより開幕8日前に開催中止が発表。そして、5月20日には夏の甲子園大会の中止も発表された。ヤクルト入団5年目の今季、中軸を担い「一流」の階段を上がる23歳は、当時どのような心境でいたのか。 ──夏の甲子園中止の報道はどのようにして知ったのでしょうか。
内山 ニュースで見たのか、監督から電話があったのか……。確か電話が来たとは思うんですが、はっきりとは覚えていないんですよね。
──大会中止はすぐに受け入れることはできましたか。
内山 そうですね。めっちゃショックだったという記憶もあまりないです。薄々は(中止になると)感じていたのもあると思うんですけど、心の整理がつかないとか、そんな感じではなかったですね。
──出場が決まっていたセンバツが開催中止。それゆえに夏大会の開催も難しいのではと感じていたのでしょうか。
内山 いや、そこまでは考えていなかったというか。
──夏は開催できるだろう、と。
内山 いや、その感覚もなかったです。夏もできないという、そういう思いもあまりなかったです。
──コロナ禍はどう捉えていましたか。
内山 周りでコロナにかかっている人もほとんどいなかったので、そんなには。
──ただ、石川県も4月に緊急事態宣言が発令されました。
内山 学校も休みになり、寮も閉じて、夏の大会前あたりまで2〜3カ月は自宅にいたと思います。
──チームをまとめる主将として仲間によく掛けていた言葉はありますか。
内山 多少連絡するぐらいは・・・
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