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清原和博、栄光と転落

清原和博 運命の1985年ドラフトの涙(2)

 

初安打が南海・藤本修二からのホームラン。喜びを爆発させた


「まず、豊田(泰光)さんの記録(西鉄の遊撃手。当時の日本最多記録、高卒ルーキー27本塁打)、それと王(貞治)さんの通算868本塁打、さらに年俸1億円。これに手が届いたらなあ、と思います」

 入団会見での清原和博の言葉だ。しかし、なかなかストライクで勝負してこないプロの投手のしたたかな攻めに苦しみ、オープン戦ではホームランはゼロ。開幕戦も出番はなく、それでも写真を撮りまくるカメラマンに「もう写真を撮るのは、やめてください」と言って、力なくだが、バットを振り上げたこともある。

 初出場は4月5日、西武球場での南海戦だった。途中出場で2打席目の初安打がホームラン。何度もジャンプし、体全体で喜びを表現しながら塁を回った。さらに次の試合も2打数2安打をマークし、このまま一気にスタメン定着かと思われた。

 しかしプロは甘くない。8日から27日までの10試合、18打席でノーヒットが続いた。その間、4月16日には昼に二軍戦、夜に一軍戦の“親子ゲーム”を経験。23日には遊ゴロで一塁への全力疾走を怠り、森祇晶監督が激怒。罰金処分となっている。清原の打率は27日の時点で.158、前年まで一塁を守り、この年はDHが増えていた片平晋作は.306。のち「野球をやっていても楽しくない。打つのは、いつも楽しいんですけど、あのころは苦痛でした」と振り返っている。

 森監督は、ここで清原の起用法についてコーチ会議を開いた。コーチたちは「このままではつぶれてしまう。二軍でじっくり育ててはどうか」という意見を出したが、堤義明オーナーから「清原をスターに育てろ」と厳命を受けていた森監督は「5月5日まで様子を見よう。GWはたくさんの子どもたちが清原を楽しみにしているはずだから」と答えた。コーチの一部はこの発言を“甘い”と感じたが、結果的に、森監督のギャンブルは吉と出た。

 崖っぷちに立った清原は、4月29日の試合でも2打席連続凡退で20打席連続無安打。しかし3打席目から2打席連続安打をマークすると、目が覚めたように打ちまくる。5月は打率.324の4本塁打。22日には阪急のエース・山田久志から5号本塁打を放ち、試合後、山田が決め球としていた「シンカーを打った」とコメントすると「ありゃ、甘いストレートだよ。あれをシンカーというようじゃ甘いね」と山田は強がったが、それは大投手の視界に、ルーキーがはっきり入ってきた証明でもある。

時代の寵児となり1年目から四番に



 6、7月には再びスランプとなり、6月20日には、女性とのデートで門限を破ったことが、写真週刊誌『フォーカス』で報じられ、ふたたび罰金処分となった。それでも“免疫”ができてきたのか、春先ほどナーバスにはならず、7月13日にはプロ初の2打席本塁打。1カ月ぶりのアーチだったこともあり、「寝言で“ホームラン打ちたい”って叫んでたらしい」と声を弾ませ、19日にはファン投票でオールスターに選ばれ、初出場。全セのコーチだった巨人・王監督と報道陣の前で握手をしたが、表情はこわばったままだった。それでも翌20日の第2戦には大洋・遠藤一彦から特大ホームランを放ってMVP。「巨人のユニフォームを着た選手たちに負けたくなかった」と真顔で言った。

 8月には8本塁打と量産体制に入り、9月も9本塁打、打率.364で月間MVP。豊田の27本塁打も抜き、初めて四番に座った10月7日には、ついに31号本塁打をマークした。これは59年の大洋・桑田武(中大卒)と並ぶ新人本塁打記録だ。129試合目に西武は優勝決定。10月は6試合だったが、23打数12安打、打率.522と打ちまくった。優勝決定後、表彰式で森監督がインタビューを受けている間、清原はボロボロと大泣き。「打てんときも使ってくれた。それがありがたくて……」。もちろん、うれし涙だ。

 最終的には打率.304、31本塁打、78打点で日本一にも輝き、苦しみ抜いたシーズンは最高の形でフィナーレを迎えた。
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