2015年、シーズン最多216安打をマークするなど大きく羽ばたき、昨オフ、海外FA権を行使してメジャー・リーグのシンシナティ・レッズへと戦いの舞台を移した秋山翔吾。希代の安打製造機が2011年の西武新人時代から2年間、打撃指導を受けたのが土井正博氏だった。秋山に打撃の基本を教え込んだ名伯楽がプロの世界で一人前になろうと背番号55が必死になっていた日々を振り返る。 取材・構成=小林光男 写真=BBM 
写真=Getty Images
恩師が贈る言葉ですか……。まず言っておきたいのは監督しか選手を育てられないと私は思っているんですよ。いくらコーチが監督に「この選手を使ってくれ」と進言しても、試合で起用してくれないと意味がない。だから秋山は1年目、130試合に出場しましたけど、そこは当時の
渡辺久信監督(現GM)に感謝です。
秋山を最初に見たときは足の速い、守備のいい選手だなということでした。これは
根本陸夫(元管理部長)さんの教えがスカウトに脈々と受け継がれているからでしょう。打撃は試合に出て経験を積んでいけばプロでも対応できるようになる、ということです。秋山は打撃もそこそこできるという印象を受けましたが、うまく打とうとするあまり、まだプロの投手相手には力負けしまうところがありました。体も細かったですから。
まず、秋山に教え込んだことは懐を深くするということでした。そうすると勝手にインサイドアウトのスイングになります。そのためには打つときに体が開いたらダメ。そうなると、後ろの腰が邪魔になり、押し手が出てこなくなってしまいます。バッテリーは打者の打撃を崩そうといろいろ駆け引きをしてくる。打者の体を開かせるためにはインサイドを攻めることが有効な手段。どうしてもインサイドは打球が詰まるので、打者の体は開いてしまうのです。それではバッテリーの思うつぼ。だから、「インコースは逃げたら勝負にならない」ということを言い続けましたね。
そういうわけで1年目のキャンプ、秋山に・・・
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