新型コロナウイルス感染拡大により、5月に入っても続く外出自粛。野球好きの子どもたちは、思いっきりプレーすることもできず、球場に遊びに行くことも、テレビで見ることもできず、退屈な日々を過ごしているはずだ。そんな子どもたちが、少しでも明るく、笑顔になれるように――。プロ野球選手たちからのメッセージをお届けしよう。今回は、各球団を代表する6選手から。ミニインタビューに登場する3選手には、自身の少年時代についても振り返ってもらった。 取材・構成=菅原梨恵 写真提供=本人 ※各球団、選手たちには、電話やメールにて取材にご協力いただきました 父親が野球をやっていたこともあって、小さいときから遊び感覚で野球を始め、3歳上の兄を追うように、小学校1年生から地元・埼玉のスポーツ少年団(西堀A-1)に入りました。当時のポジションはピッチャー、ショート。ピッチャーをやっていたこともあって、打つ・投げる・守る・走るだったら“投げる”のが一番好きでしたね。自信もありました。
バッティングに興味を持ったのは中学時代から。中学では硬式野球(浦和シニア)を始め、ポジションも今と同じ外野手に転向しました。ちなみに右利きの僕が左打ちになったのは、確か小学校3年生の終わりごろ。父に「足が速いから」とすすめられたのがきっかけです。力強さはなかったんですが、違和感なくスイングできたこともあって、そこからはずっと左打ちに。でも、右のままだったらもっと打っていたかもとか思ったりします(笑)。今でも練習のときに右で打ったりしますが、スイングはキレイなんですよ。
野球を始めてから、夢はずっと「プロ野球選手」でした。夢というか、勝手になれると思っていた(笑)。ただ・・・
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