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よみがえる1980年代 1986年編

ヤングレオ、躍動!ルーキー・清原和博が追い風に

 

1986年、森祇晶新監督には、最大のプレゼントであり、最大の悩みの種があった。新人・清原和博だ。それでも新指揮官は「育てて勝つ」という難しいテーマを見事に成就させた。

4月5日、南海戦[西武]。清原和博のプロ初安打はホームランだった


スーパールーキーの試練


 開幕第2戦、4月5日の南海戦(西武)で、背番号3の新人・清原和博が走りながら大きくジャンプ。Vサインの右手を高々と突き上げた。試合は2対4で敗れたが、9回のプロ初安打がホームラン。甲子園のスーパースターだった清原らしいド派手なデビューだった。

「まずは豊田(豊田泰光)さんの記録(西鉄。53年高卒本塁打記録27本)を抜きたい。それと王(王貞治)さん(当時巨人監督)の868号です」

 入団会見で、清原はそう言い切った。ビッグマウスとは少し違う。清原は本気だった。ドラフト会議で指名の確約をもらっていた巨人が、同じPL学園高の桑田真澄を1位指名。悔し涙に暮れたが、あこがれだった巨人、目標としていた王監督を「見返したる」と強い思いで吹っ切った。だからこそ、王監督が持つ世界最多ホームラン記録を躊躇(ちゅうちょ)なく挙げたのだ。果たして今、いや過去においても、そんなドでかい夢を本気で言える新人選手がいただろうか……。

 広岡達朗監督の後任として西武を指揮する森祇晶新監督は、前年12月の就任会見で「若い選手が多いだけに、一緒に戦いながら育てるという方向性でいきたい」と語った。また、選手を徹底的に管理し、時にマスコミに悪口を流すことで選手の奮起を促した広岡前監督を反面教師に「主役は選手」と強調。ベテラン選手は個別で呼んで、「輝くのは選手。選手が輝く場所をつくるのが私の仕事だ」と協力を求めた。

 ただ、「育てながら勝つ」のは簡単ではない。清原は初本塁打の後、翌戦も2打数2安打だったが、そこから10試合ノーヒット。清原の一塁起用でDHに回った片平晋作は打率.306をマーク。コーチ陣からは「まだ早かった。二軍で調整させては」の意見もあった。それでも森監督は・・・

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