わずか1イニングの登板に終わったが、なくてはならない存在だった。「何でもやります」と口にし、見事に果たした難しい役割。チームのことを一番に考え、チームのためにすべてを捧げた。日本悲願の金メダルは沢村賞左腕にとってもかけがえのない勲章となった。 取材・構成=牧野正 
金メダルが決定、ブルペンから飛び出して歓喜の輪が広がるマウンドへ。左から田中、大野雄、山﨑康晃[DeNA]。[写真=WBSC]
与えられた役割
東京でオリンピックが開催されると決まったとき、すごいことだと思うと同時にうれしかった。そのオリンピックに野球が復活すると決まったときは、それ以上の喜びだった。代表に選ばれたときはさらに興奮し、そして金メダルを手にしたときは……優勝が決まった瞬間、大野雄大は最高の笑顔を浮かべてブルペンから真っ先に飛び出していった。 ──いい笑顔ですね(上画像)。待ち焦がれた瞬間だったと思います。どんな気持ちでしたか。
大野 みんなでブルペンにいて最後まで何が起こるか分からなかったんですよね。二死から走者が出て、一発が出たら同点の場面じゃないですか(2対0で日本がリード)。もちろんそんなことはないと信じてはいましたけど、気持ちのほうは緩めてはいませんでした。でもゴロが転がった瞬間、ブルペンの扉に向かい、そこからはもう早くみんなの(マウンドの)輪の中に飛び込んでいきたいと、その一心だけでした。全力で走っていましたね。マー君(
田中将大、
楽天)を押し退けていきましたから(笑)。
──大野投手は選手の中でもオリンピックへの思いは非常に強かったように思いますが、それはなぜですか。
大野 東京でのオリンピック開催が決まったとき、本当に多くの方が喜んでいましたよね。僕も東京でオリンピックをやるんだと思うと何だかうれしくて。その後、野球の復活が決まったときは喜びと同時に、こんなにラッキーなことはないと思いました。まだ先でしたけど、もしかしたら出られるかもしれない。そういうチャンスがあると思うだけでうれしくなりました。そこからはもう絶対に出たいという気持ちだけでしたね。
──1年延期の開催となったことは、どのような影響がありましたか。
大野 もともと春先の成績は良くない投手なんです(笑)。昨年は開幕が6月にずれ込んだので何とも言えない部分はありますが、昨年だったら果たして代表に選ばれていたかどうか。2019年のプレミアのメンバーを軸にというのはあったのかもしれませんが、昨年、沢村賞という結果を残せたことは選考の上で大きかったと思いますから、結果的に僕にとっては1年延期はプラスだったのかなと。ただ「1年遅れて良かった」という言い方はあまり良くないですよね。1年延期による調整は特に影響はなかったです。プロ野球選手は常にシーズンがありますから。4年に一度のオリンピックを目指しているほかのアスリートに比べれば、そこまで影響はないです。
──オリンピック代表に選ばれたときの気持ちは、どのようなものでしたか。
大野 めちゃくちゃうれしかったです。と同時にものすごいプレッシャーが押し寄せてきました。もちろん・・・
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