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廣岡達朗連載「やれ」と言える信念

廣岡達朗コラム「そうかね、原監督が『丹田』と言ったかね? 電話でもかけてきてくれれば私もうれしい」

 


 原辰徳監督が8月28日の中日戦(バンテリン)の試合後に「チャンスにボール球を振ってしまっている。ボール球を振ると重心が上がってしまう。丹田のところでボールをつかまえる感じで打ちにいかないといけない」と話していたという。

 これは私の持論だ。丹田とは「ヘソの下」のこと。「臍下(せいか)の一点」ともいう。そもそもヘソの下に意識を集中させて打てというのは合気道の藤平光一先生の教えだ。かつて巨人では長嶋茂雄王貞治江川卓松井秀喜も藤平先生に師事した。今ごろ丹田と言うのは遅い。百歩譲ってその意味が分かったのなら、コーチ陣が選手に教えればいい。指導者にはそれだけの責任があるのだ。

 ところで、巨人はクリーンアップを打っていた丸佳浩を後半戦になって一番に起用していた。いまだにオーダーが決まらないのはどういうことか。原監督には一貫性がない。誰を一番にしようという意図が見えないのだ。日ごろから自分が一番打者であると自覚していれば、それに沿った仕事をするようになる。

 私の現役時代、川上哲治さんは自他ともに認める不動の四番だった。調子を落としたときには、若手を連れて多摩川で1時間半、休みなしに打ちまくった。打てないからと下位打線に降格というわけにはいかない。そこに四番のプライドがあった。

 つまり、一番から九番まで、その打順打順に特有の仕事があるのだ。そういうことを知らないから平気でオーダーを変えてしまう。

 原辰徳というのは、第2次長嶋茂雄監督時代に私が「次の世代の監督を育てるべきだ」と推薦した男だ。長嶋は私の進言を聞き入れて、原をヘッドコーチにした。3年間、傍らに置いて帝王学を叩き込んだ。原は長嶋の後を引き継いで監督就任。私にも彼を監督にした責任があるから、当時は電話を入れてヒントを授けたこともあった。それを思えば、いまの原監督はどこか遠いところへ行ってしまった。

 彼が恵まれていたのは父親(原貢氏)が野球人だったことだ。何か困ったことがあったら父親に遠慮なく相談できた。ところが、父親が14年に亡くなってから彼には怖い存在がいなくなってしまった。結果、やりたい放題。いまのようなオールスター野球をやっていたら、長嶋は3年間何を教えていたのかということになってしまう。長嶋にも恥をかかせることになるのだ。

 そうならないためにも、もう少し責任を持ってコーチ陣を固めるべきだ。不思議に思うのはコーチ陣がほとんどノートを持ってメモしていることだ。いったい何を書いているのか。書かなければ覚えられないようなことは結局、自分の身になっていない証拠だ。

 原監督は今年が3年契約の3年目となる。今季の結果次第で来季も監督を続けるのだろうか。あるいは、監督を退いても一定の影響力を球団に行使し続けるのか。

 いまの巨人は監督に全権を与えている。GM兼任。それは間違いだ。フロントにはフロントの大変な仕事がある。監督は現場で選手を動かすのが仕事。すべてを動かすのは物理的に不可能だ。そういうことを知らないから全権監督などと言ってすべてを掌握した気になっている。

 そうかね、原監督が「丹田」と言ったかね。私のことを少しは意識してくれたのか分からないが、たまには「先輩」と言って電話でもかけてきてくれれば、私もうれしい。

PROFILE
廣岡達朗/ひろおか・たつろう●1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。
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