昨年も多くの選手が野球人生に終止符を打つ決断を下した。野球を愛し、球界を盛り上げた男たち。白球にかけた、尊い野球人生を振り返っていく。 文=楊枝秀基 
松坂の引退セレモニーでイチロー氏[右]がサプライズで登場した
満を持して迎えたシーズンで
一つの時代が終わった。引退したとしても、そんな空気を醸し出せる選手は限られる。2021年でいえば、
松坂大輔がこれに当てはまる。
1998年の甲子園で春夏連覇。話題の中心のままドラ1で
西武に入団。最多勝、新人王などタイトル総なめで華々しいデビューを飾った。
あれから23年。メジャー移籍、日本球界復帰、古巣西武での引退と紆余曲折はあった。それでも最後は惜しまれつつ、レジェンドのままユニフォームを脱いでいった。
10月19日の引退試合では最速118キロの直球を投げ、5球で最後の公式記録「四球」を記した。「僕はボロボロになるまで投げますから」という若かりし日の宣言どおり、有言実行の引き際だった。
そして12月4日のファン感謝デーではあらためて、引退セレモニーを行い西武ファンに別れを告げた。サプライズで登場したイチロー氏(マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)と、松坂はまさに投打の時代のアイコン。一つの時代の終わり感を、より一層に際立たせた。
誰からも愛される人柄。それは松坂の人懐っこい表情からにじみ出ている。だが、それ以上に憎らしいのは投手としてのすごさだ。当然、投手として優秀でなければ、デビュー直後にふくれ上がった期待のインフレに応えることはできなかっただろう。
重圧を乗り越え、その先を突き進めた要因は何なのだろうか。その礎となったものは? プロ入り前から取材を重ねてきた、元西武番記者の立場から検証すれば、それは最初の3年間に集約されると考える。
特に3年目の01年シーズン。これは印象的だった。星取りを見れば15勝15敗。当時の松坂が「自分で自分に腹が立つ」と表現した1年だ。
高卒選手では初となる入団からの3年連続最多勝。さらに最多奪三振、ベストナイン、ゴールデン・グラブ賞にも輝いた。加えて沢村賞に選出されながら、選考委員会に「期待を含めて選出した」と注文をつけられるなど、まだまだ話題の中心だった。
注目され続ける中で重圧に耐え、自らのスタイルを貫き通し、それでも最後には優勝を逃す悔しさを味わった。松坂で始まり、松坂で終わった01年の西武ライオンズ。21歳ですべてを背負い奮投した「平成の怪物」を引退が決まった今、あらためて振り返る。
満を持して迎えたシーズンだった。「貴(
石井貴)さん、西口(
西口文也)さん、豊田(
豊田清)さんをはじめ先輩方のほうがまだまだ上です」と謙遜しつつ、充実していた。
東尾修監督からはエースとしての活躍を求められていることを、感じないはずはなかった。
正面から期待、重圧を受け止めて迎えた開幕。松坂は・・・
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