
文=平野重治
日本ハムの猛追と
巨人の追い上げ(とまでは言えないが)で、両リーグが面白くなってきた。この号が出るころには、日本ハムが
ソフトバンクを逆転しているかもしれないが、とにかく3、4ゲーム差に詰まったときは、「“熱パ”や“乱セ”まで行ってくれ」と期待したものだ。
ところで“熱パ”や“乱セ”という表現はいつごろから使われ始めたのだろうか。筆者の記憶では、
川上哲治監督率いる巨人と
西本幸雄監督率いる阪急が勝ち過ぎて、ペナントレースへの興味が薄れてしまった1970年代初めではなかったろうか。面白いペナントレースになってくれの期待を込めて、スポーツ紙の整理部記者が編み出した表現だったと思う。言うまでもないが、“熱パ”は“熱波”、“乱セ”は“乱世”に引っかけたもので、まあ、75点ぐらいの出来だが、結構使い勝手がよく、いまに残っている(しかし、最近の“混パ”や“混セ”はいただけない。引っかけにも、もじりにもなっていない)。“熱パ”はすぐ実現した。これは、73年から採用された2シーズン制のおかげだ。73年はプレーオフで南海が最強阪急を下し8年ぶりのV。75年後期は近鉄が創立26年目で初めて「優勝」と名のつくものを手にしたシーズンとなった。
しかし、2シーズン制も9年目の81年になると中だるみ。観客動員数が前年より25万人も減少した。それまでの5年連続増加の勢いにストップがかかった。この中だるみを象徴するような試合があった。その81年の10月10日に川崎球場で行われた
ロッテ-日本ハムのプレーオフ第2戦。9回、5対5で時間切れ引き分け。ロッテ12安打、日本ハム8安打。この数字だけ見れば何の変哲もないゲームだが、試合時間が何と5時間17分!いまに至るまで、日本のプロ野球史上、9イニング試合での最長時間記録である。筆者はスタンドから見ていたのだが、その両軍のテレンコぶりにあきれ果ててしまった。まだ日の高い1時1分に開始されたのだが、終わった6時18分は真っ暗(写真)。ダブルヘッダーを見せられたようなものだ。“熱パ”どころか“凡パ”“損パ”“滅パ”──。2シーズン制は翌82年限りとなった。