
文=大内隆雄
広島の優勝は、ほとんど他チームが無抵抗のままで決まってしまったが、カープのこれほどの独走Vを見るのは初めてだ。25年も待たされたファンには、余りにあっけない優勝は、物足りなかったかもしれない。
さて、25年と言えば、75年の初優勝もカープのペナントレーススタート(50年)から25年後に達成されたものだった。10月15日の後楽園球場での
巨人戦。広島は4対0の完勝で優勝した。この試合、というよりスタンド風景は忘れられない。OBの
衣笠祥雄氏によると「あの日は、赤と黒の世界でした」。スタンダールの世界?
衣笠氏によると「カープの赤い帽子と巨人の黒い帽子の人たちが半々ぐらい。それだけカープファンが多かったんです」。たしかにスタンドの半分以上が広島ファンの感じだった。もちろん、広島ファンのすべてが赤い帽子をかぶっていたワケではない。それでも半分以上と判断できたのは、広島ファンのほとんどが宮島のシャモジを手にしていたからである。シャカシャカ、シャカシャカ。この音が試合終了まで鳴りやまなかった。
筆者は、75年の終盤は広島について回り、ほとんど担当記者。9月10日の市民球場での
中日戦での“暴動”も見てきた。市内三篠の合宿のつつましさには、「ここからみんな育ったのか!」と感動したものだ。環境ではなく、野球に対する情熱がすべてなのだ。これは阪急との日本シリーズ中のことだったかもしれないが、この合宿で外国人選手のシェーンとピンポンをしたこともあった。明るく楽しい、いわゆるひとつのネアカ。これがどれほどチームを元気づけたか。同じ外国人の
ホプキンスと2人で合宿のまずそうなカレーライス(失礼!)をグシャグシャにかき回して「グッドだよ」と口に運んでいたのもおかしかった。外国人2人の成績を見ると、本塁打の合計46、打点が147。
山本浩二と衣笠が本塁打51、打点156だったのだから、2人の新外国人選手の存在がいかに大きかったかが分かる。
優勝決定直後の小社の所有写真で一番気に入っている1枚を使ってみた。
古葉竹識監督とシェーンの抱擁シーン。「お前のおかげだよ」の古葉監督の満ち足りた表情が印象的だ。