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六大学野球のシーズン到来。神宮の一番の思い出と言えば、早慶戦の徹夜組。まあ、青春そのものではあった――

 

文=大内隆雄


 東京六大学野球秋のリーグ戦は、9月10日に開幕したが、筆者は1968年に受験浪人として上京してから今春まで、六大学リーグ戦を少なくともシーズン1試合は見ている。68年春から数えると49年目、97シーズンを観戦してきたことになる。今秋と来年17年の春秋を観戦すれば100シーズン連続の偉業達成(?)となる。

 いまや神宮のヌシのような存在の慶応ネット裏三田会元会長のOさんは「50年?こっちは、早慶6連戦(60年)以前から見てるんだ。50年なんて鼻タレ小僧だ」と威張るのだが、「連続」となると、スゴスゴと退散する。ブリヂストンのエリート社員だったOさんは、日本中を歩き回ってきたから、神宮に来られなかったシーズンもある。で、この早慶戦(筆者はワセダです)は、こっちに軍配が上がる。

 早慶戦を見逃すことは、ほとんどなかったから、この一大イベントの思い出は数限りなくある。さて、いつの早慶戦が一番記憶に残っているかとなると、やはり、大学4年秋(72年)の早慶戦である。慶大の初めての3連覇がかかった早慶戦は、早大には68年秋以来、8シーズンぶりのVがかかった早慶戦でもあった。早慶戦で勝ち点を挙げたほうが優勝というのは64年秋以来16シーズンぶり。これでは盛り上がらないハズがない。

 昭和47年度(72年)の六大学野球年鑑の秋の総評の冒頭には「リーグ戦の最後を飾る早慶戦には3日間で約一万三千人の徹夜組が神宮球場を囲んだ」とある。入場者数(3日間超満員で15万人以上が詰めかけた)より先に徹夜組が話題になったのは、近年ほとんどなかった現象だったからである。3回戦の前日は、7000人を超えた。10月末だから夜は冷える。酒で勢いをつけて騒ぐ程度ならまだしも、煮炊きをしたり、そこらへんの板切れを集めて燃やしたりとなると、これは度が過ぎた。以後、球場周辺での徹夜は禁止となった。そのときの写真を探したのだが見つからず、代わりに出てきたのがコレ。80年代後半のものと思われるのだが、禁止令は割合早く解除になったのか。まあ、安ウイスキーをガブ飲みするのは、70年代も80年代も同じ。この学生たちは、その後どんな人生を――。
おんりい・いえすたでい

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過去の写真から野球の歴史を振り返る読み物。

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