第93回都市対抗東海地区二次予選は5月20日から始まる。代表枠6に対して14チームが出場。敗者復活方式のトーナメント戦は、最長18日間に及ぶ長丁場である。昨年11月に就任した梶山義彦監督と、今年4月からユニフォームを着る伊藤祐樹ヘッドがチームをけん引する三菱自動車岡崎は2年ぶり13回目の代表権を狙う。 
三菱自動車岡崎・梶山監督[左]と伊藤ヘッドコーチ[右]はかつて、神奈川の企業チームで切磋琢磨した間柄。お互いの性格を知り尽くす[写真提供=三菱自動車岡崎硬式野球部]
「根拠ある勝利」目指す元日本代表主将2人の挑戦
ルノー、日産自動車、三菱自動車はアライアンス・パートナーである。昨年11月、三菱自動車岡崎硬式野球部の新監督に就任した梶山義彦氏は日本一のチームを目指す上で、水面下でチーム強化プランを描いていた。
「各社との人材交流を、野球でも実現できないかな、という発想です。こちらから会社へ要望を出しました」
梶山監督はヘッドコーチに伊藤祐樹氏を考えていた。日産自動車では2010年から社業に専念。提案書提出の前に、本人に意思確認した。伊藤氏にとって、ありがたい話だった。
「社会人野球に育てていただいた。どこかで関わりを持ち、恩返しすることができないかを考えていました。梶山監督とは同じ目線で話ができ、野球観も合う。最終的には神奈川に残していく家族の後押しがあり、岡崎の地で力になりたいと思いました」
2人は深い絆で結ばれている。1970年生まれで、静岡高出身の梶山氏は左の強打者として、三菱ふそう川崎(三菱自動車岡崎)で18年プレー。1999年のシドニー五輪アジア予選ではプロアマ合同チームにおける日本代表の主将を務め、翌2000年の本大会にも出場した。72年生まれの伊藤氏は津名高(兵庫)、福井工大を経て95年に日産自動車に入社した。遊撃手として、3度の社会人ベストナインを受賞。日本代表では03年のW杯、05年のW杯では主将の大役を担った。19年には日本野球連盟が制定した「平成ベストナイン」の遊撃手部門に選出されている。
日産自動車に残った「使命感」
2人は現役時代、神奈川の社会人で切磋琢磨してきたライバルだ。梶山氏は自チームが都市対抗を逃した際、日産自動車の補強選手として東京ドームでプレー。一方、03年に三菱ふそう川崎が3年ぶり2度目の都市対抗優勝を遂げた際は、伊藤氏が補強選手として黒獅子旗奪取に貢献した。梶山氏は19年前の夏を回顧する。
「最後のミーティングで、伊藤が涙を流していたんです。一言で表現すればファイター。以前から性格は知っていましたが、あらためて、熱い思いを持っている人間なんだな、と」
補強選手とは、他社からの助っ人。伊藤氏には日本代表のキャプテンを任された人望の厚さがあり、三菱ふそう川崎にも溶け込んでいた。梶山氏はチャンスがあれば再び、伊藤氏とユニフォームを着たいと考えていた。梶山氏は06年限りで現役を引退し、07年から2年間、コーチを務めたが、08年限りで三菱ふそう川崎は休部。日産自動車も翌09年限りで休部した。
「チームがなくなった後も一緒になったことはありました。同じ境遇を歩み、相通じる部分がある」(伊藤)
その後・・・
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