
ソフトバンク・工藤新監督には、プロ野球に「青春」を注入してほしい。これは新しい野球だ
朝日新聞が『三四郎』の連載を始めたので、毎回楽しく読んでいる。前回の『こゝろ』はまるで読む気がしなかった。というのは、夏目漱石の作品中で、最も嫌いな作品の1つだったからである。ついでに言えば、同じぐらい嫌いなのが『道草』。前者は、単に面白くないから。後者は、自然主義の作家たちが「自分をさらけ出している」と唯一ほめる漱石作品らしいが、筆者は貧乏たらしくて読んでいられない(漱石ともあろう人が!と)。
そこへいくと『吾輩は猫である』『坊っちゃん』、『三四郎』は、読んでいて楽しくて仕方がない。『猫』の異様とも思えるほどハイで躁な世界。『坊っちゃん』の恐ろしく単純(素朴ではないが)な世界、『三四郎』の見事な青春小説の世界。再読、三読、まさに巻を措く能わず、で飽くことがない。
漱石マニアは「そういう読み方では、漱石を本当に読んだことにはならない」とか何とか言うのだろうが、それこそ余計なお世話である。
で、フト思ったのだ。プロ野球の世界も、無条件で楽しい野球、単純で分かりやすい野球、青春の情熱と栄光と挫折を感じさせる野球を見せてくれた監督、選手たちが、ファンの心に残り続けるのではないか、と。
漱石の作品に、これだけの幅があるように、プロ野球人にも、二面性があり、それ一色というような人はいないのだが(当たり前だ)、それでも、おのずと、その人らしさというのは、隠しようもなく現れてくる・・・
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