変わるために勇気を出すのは難しい
「限定、満足、妥協」は、プロの世界において禁句である。それはこれまで私が選手たちに散々口を酸っぱくし、そしてこの連載の中でも書いたことだ。
これぐらいやれればいいだろう、俺はこんなもんだろう、このくらいできれば満足だ……。そんなふうに思ったが最後、せっかくの素質をダメにしてしまう。人間、どうしても楽をしたいという本能がある。苦しいことは避けて通りたい。「進歩」とはすなわち、変わることだ。しかし、変わることには勇気がいる。その勇気が、なかなか出てこない。
親から恵まれた体をもらいながら、お前は何をやっているんだ、変われよ、と思う選手を多く見てきた。“ゼニになる選手”になれる可能性があるのに、なんともったいないことか。私の見てきた中、その典型的な例は
皆川睦雄(南海)、
川崎憲次郎(
ヤクルト)両投手だった。
皆川はプロ入り3年目の1956年、アンダースローに転向し、勝ち始めた。ただ、持ち球がシンカー気味の真っすぐとカーブしかなく、なかなか20勝には届かなかった。
そのころ私は遠征先で、いつも皆川と部屋が同室だった。当時の定宿は、今とは違い、日本旅館。畳敷きの部屋に2人で寝っころがって、電気を消してからも野球談議にふけったものだ。

▲遠征先の宿舎でいつも同室だった野村と皆川は常に野球について語り合った[左から皆川、野村、杉浦]
「お前なあ、左バッターをなんとかせえや。左の強打者が出てきたときの、(キャッチャーの)俺の心境が分かるか。毎回サインを出しては、“神様、お助け〜”って思いながら、受けているんだ」
じゃあ、どうしたらいいか、ということになった。私はキャッチャーの立場から、配球の話を続けた。
「
シュートだけでは・・・
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