
今季は現状、代打専任となる巨人の阿部/写真=大泉謙也
日本シリーズを経験し、いいキャッチャーになる
今シーズン、巨人・
阿部慎之助がキャッチャーに復帰すると聞き、このページで「遅いよ」とぼやいたのは、昨年末だったか。
(記事はこちら→野村克也が語る「捕手の難しさ」) 案の定、開幕前に左ふくらはぎ痛で戦列離脱。なんとか開幕には間に合ったものの、キャッチャー復帰は叶わず、
原辰徳監督にも「左の貴重な代打」「現状ではキャッチャーとして考えていない」と宣言されてしまった。
キャッチャーは、年を取れば取るほど味が出る。私もかつては、キャッチャーとしての阿部の未熟さを、再三指摘してきた。彼はキャッチャー向きの性格ではないのでは、と言ったこともあったと思う。バッティングに関しては、天才的。ゆえに「自分がここに投げられたらイヤだ」という、バッター目線でリードをしているように感じられた。味方ピッチャーの心理や、相手バッターの狙いは、二の次だった。
それが変わってきたのは、日本シリーズを何度か経験してからだ。キャッチャーにとって、一番の成長の場は、日本シリーズ。阿部も一皮、二皮とむけていき、やがて円熟の味を発揮するかと思われた。打者心理を逆手にとったようなリードも見受けられるようになったし、日本シリーズ(2012年)で先発・
澤村拓一の頭をマウンドではたいた一件も、私に言わせればキャッチャーとしての責任感の表れであった。
いいキャッチャーになったな、と思ったら、ファーストに転向してしまった。あれは非常に残念だった。前も書いたと思うが、キャッチャーには故障が付きもの。満身創痍でなお務めるのが、キャッチャーではないか。自分を殺せる選手でなければ、このポジションは務まらない。だからますます、「大学出のキャッチャーに名捕手なし」と持論をぼやきたくなってしまうのだ。
そう言うと、編集者に「古田(
古田敦也=元
ヤクルト)さんがいるじゃないですか」と反論された。あれは性格的に、ピッチャーだな。目立ちたがりだ。
矢野燿大(
阪神監督)といい、
嶋基宏(
楽天)といい、近年はキャッチャーもみな大卒ばかり。キャッチャーに必要な下積みを経ず、アマチュア時代に覚えたキャッチャー理論で、“即戦力”というのは、いかがなものか。
18歳から22歳の間に正しいキャッチャー教育を
大学時代の4年間にあたる18歳から22歳は、最も影響を受けやすく、物事を吸収しやすい年齢だ。そこで正しい教育を受けていくことが、プロのキャッチャー育成にふさわしいと、私は思う。
例えば、捕球術。サインを出して捕球体勢に入るときは、常にパスボールへの備えをしながら構える。ワンバウンドの処理も、練習しておかなければならない。構えるとき、ミットを持たない右手は基本的に体の後ろに置く。それから意外と多いのが、一度ミットを構えたあと、一瞬下向きに閉じ、また開いて捕球するキャッチャー。あれはワンバウンドなど不測の事態への反応がコンマ何秒遅れるので、やめるべきだ。あとは巨人の小林(
小林誠司)に見られたように、コースに寄るのが早過ぎると、打者に見破られる恐れがある。
リード面は、まさしく『敵を知り、己を知る』。まずは打撃論一般の勉強をし、相手バッターの観察、分析を行う。配球にも原理原則があり、相手バッターと味方ピッチャーの力関係や、その日のピッチャーの出来などをベースに、根拠を持った配球をする。
次に味方ピッチャーのその日の調子や心理状態を把握し、組み立てを考える。それができるようになったら、さらに洞察力を駆使し、相手バッターの考えを見抜いていく。ここでもよく言う、「バッターの前を球が通過するときの観察力」である。右目で投球を見て、左目で打者を見る。試合の状況に応じても、次の1球の選択肢は違ってくる。
この段階を経てリードができるようになれば、正捕手への道は、おのずと近づいてくるだろう。
先だって、
ソフトバンクの正捕手・
甲斐拓也とテレビ番組で話す機会があった。甲斐に「キャッチャーとして、最も大事なものはなんですか」と聞かれ、私は即座に「ピッチャーからの信頼」と答えた。
キャッチャーは漢字で『捕り手』と書くが、私はいつも「捕手は『補手』であれ」と言っている。ピッチャーを補うのが、キャッチャーの大切な役割だからだ。ピッチャーの心情を常に思いやり、目配り、気配りをする。ピッチャーが本調子でないときは、それをリードで補い、立ち直る方向へと導く。やがてバッテリー間に信頼が生まれ、ピッチャーも「アイツのサインに従っていれば、大丈夫」と自信を持ってミット目掛け、思い切り投げ込むようになる。自信を持って投げた球は、自然と球威も増すはずだ。
キャッチャーはピッチャーを前向きにさせ、力を十二分に発揮させる言葉も持っていなければならない。いやはや、キャッチャーの仕事はこのページには到底書き切れない。だから余計、キャッチャーにはなるべく早く、プロで学ぶべきことを学んでほしいのだ。
PROFILE のむら・かつや●1935年6月29日生まれ。京都府出身。54年にテスト生として南海に入団し、56年からレギュラーに。78年にロッテ、79年に西武に移籍し、80年に引退。歴代2位の通算657本塁打、戦後初の三冠王に輝いた強打と、巧みなリードで球界を代表する捕手として活躍した。引退後は90〜98年までヤクルト、99〜2001年まで阪神、03〜05年までシダックス(社会人)、06〜09年まで楽天で監督を務め、数々の名選手を育て上げた。その後は野球解説者として活躍、2020年2月11日に84歳で逝去。