37年ぶりにセ・リーグ連覇を達成した広島だが、この男がいなければまったく違う結果になっていたかもしれない。大ブレークを果たした剛球投手は、さらなる進化と、さらなる活躍を誓っている。 取材・構成=吉見淳司、写真=BBM 
セ・リーグ勝率第一位投手賞.833初受賞
勝ち星を呼び込んだ「反省と対策」
──薮田投手にとって個人タイトルとはどのようなものでしょうか。
薮田 いつかは獲りたいと思っていましたが、最高勝率は意識したことがなかったですね。防御率や奪三振と違い、自分でコントロールができるものではないですし。
──「このタイトルなら手が届くんじゃないか」と思っていた部門はありましたか。
薮田 いや、もう全然。まだ実績もなかったですし、とりあえず今年1年間は何とか一軍でプレーし、自分に自信がついて、周りから見て一軍の選手だと言われるようになったらタイトルを目指そうと思っていたので。
──今年は中継ぎとしてスタート。しかし5月23日の
ヤクルト戦[マツダ広島]で先発した
野村祐輔投手が腰の違和感のために3回で降板し、薮田投手が4回からの3イニングを無失点で抑えました。出番はいつ告げられたのでしょうか。
薮田 祐輔さんが試合前に肩を作っている段階で、いつもより状態が悪いということはコーチから聞いていて、「早めから準備してくれ」とは言われていました。ある程度は早い回での登板を想定していました。
──昨年8月31日の
DeNA戦[同]では先発予定だった
福井優也投手が首を痛め、スクランブル先発。6回無失点で勝利投手となりました。
薮田 あのときは本当に緊急でした。試合10分前くらいだったので。スクランブルなので割り切りというか、準備もしていないので失敗しても仕方がないという思いと、何とかこのチャンスをモノにできたらという思いが半々でした。
──前年の経験があるからこそ、今年のヤクルト戦でも白羽の矢が立ったのでは。
薮田 スクランブルを経験していたから、やりやすい部分はありましたね。
──その次の登板となった30日の
西武戦[メットライフ]から先発ローテーション入りを果たしました。先発を告げられたのは?
薮田 ヤクルト戦の翌日です。そのときには「次は先発だけど、中継ぎの・・・
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