高卒3年目の96年にレギュラーの座をつかみ、リーグ最多の38犠打の活躍もあり、新人王に選ばれた。98、99年と2年連続でゴールデングラブ賞を獲得。貴重なつなぎ役となり、堅実な守備で長年ファイターズを支えていく。06年は選手会長としてリーグ優勝、07年は主将も兼務して連覇に貢献した。09年は初めて3割を打ち、1億円プレーヤーの仲間入りを果たす。その後はケガに苦しみながらも、チーム屈指の守備力で陰から支え続けた男の語るプロ野球人生――。 取材・構成=池田晋 写真=佐々木譲、BBM 二遊間のプライド
――21年間お疲れ様でした。今季の終盤戦で金子選手の守備を見て、まだやれると思いましたが、引退を決めた経緯を教えてください。
金子 解説者の先輩方に「まだできるだろ?」と言われましたし、できると思います。でも、ショートで1年間100試合以上を全うするのは無理でしょう。この数年は足を痛めてから肩もイメージと違うんです。ショートからファーストへ投げるとき、以前は相手の胸を目掛ければ胸に行ったけど、今は頭を狙わないと行かない。ヒザの後十字じん帯は両方ともないし、軟骨も手術して、アキレス腱も悪いので下半身が踏ん張れない。一番影響が出るのは打撃だけど、もともと自信がなかったですから。でも、投げるボールが行かなくなったのは、結構こたえます。それに、二遊間はグラウンドの360度を見渡せて、前後左右に選手がいる唯一のポジション。その選手が休んでコロコロ変わるようじゃチームの土台が揺らいでしまう。まだ現役なのに「ファイターズのショートは金子だったね」と言われるのも悲しくて、自分で線を引くことにしました。
――引退会見のときに“自問自答”を繰り返していたと言ってました。
金子 この5年くらい、やめ方を考え出してから自問自答の繰り返しですね。今年は「どういうふうにやめようかな」となりました。来年もやるイメージがなくなりました。7月に球団の代表の方に伝えたときのスッキリ感は半端じゃなかったです。そこで、自分の中で整理がつきました。
――では、キャリアを振り返ってください。3年目に守備で生き残る道を見つけたとのことですが、その真意を教えてもらえますか。
金子 守備はそんなにうまいと思ったことがないんです。21年間やってきて、捕球は最後まで不安でした。ただ、人より強いボールを速く投げる自信があり、生きる道は肩だと思いました。足も速くないし、打撃は非力。ただ、ショートを守る楽しさがあり、体も結構強い。磨くべきところが明確になったのです。

▲体勢が崩れても強い送球ができる強肩の持ち主
――きっかけになった試合はありますか。
金子 96年4月に・・・
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