先発として2ケタ勝利も挙げ、2011年には抑えとしても33セーブ。あらゆる起用に応え続けてきたが、故障で離脱することも多々あった。それでもプロで14シーズンを過ごせたのは「ケガがあったから」ときっぱりと言う。そんな現役14年間を振り返る。 取材・構成=鶴田成秀 写真=佐藤真一、太田裕司(インタビュー)、BBM 財産は1年目のトレーニング
新人年に一軍デビューを飾り、3年目には開幕先発ローテ候補に挙がるなど、順調にキャリアを積んでいった。それでも、今なお思い出に残るのは1年目の体づくりだという。 ──今季限りで14年間の現役生活を終えました。決心したのは、いつごろだったのでしょう。
岸田 9月の上旬くらいです。でも、引退しようか悩んでいたわけではないんですよ。それまで毎日、毎日トレーニングを積んでいましたし。ただ当然、この年齢(38歳)になり、来年の保証はない。試合もずっとケガで投げられず、復帰したのが8月半ばくらいで、遅過ぎました。そのころから頭にあったんです。来季はプレーヤーとして契約してもらえないだろう、と。それでフロントの方と話をした9月上旬に決心しました。
──引退後のことは何か考えていたのでしょうか。
岸田 全然、何も考えていませんでした。どうなるのかなんて何も考えていなかったですけど、「何をしようか、何がしたいか」を考えれば、いっぱい思いついたはず。けど、考えないようにしていたんです。トレーニングをして試合で投げることだけを考えていた。練習に集中しよう、と。
──今季が終わるまでは、選手として全うしようという表れですね。
岸田 もがいて、もがいて。最後までプレーしようと思っていたんです。
──今、振り返ると、14年もの間、プロ生活を過ごせた要因は、何だと思いますか。
岸田 いっぱいケガしたからですかね(笑)。ただ、手術もしていないし、大きいケガはしていないんです。でも、ケガするたびに自分の体を見つめ直してきた。そのおかげで、長くできたのかな、と思うんです。
──プロ3年目は開幕先発ローテ入りを期待されながら、故障で出遅れたのが最初のケガでした。
岸田 そうですね。それからもいっぱいケガはしましたが、1年目の二軍生活の経験が大きかったんです。自主的にやったわけではないんですが、当時の二軍のコーチに・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン