地元で育ち、地元で野球を続け、地元のプロ球団に入った。12年間の現役生活、通算510試合登板はすべてリリーフ。どんな場面でも行けと言われれば、覚悟を決めてマウンドに向かった。故障知らずのタフネス右腕が現役生活に別れを告げた。 取材・文=牧野正 写真=榎本郁也、BBM 他球団でも続けたい熱い気持ちはなかった
9月20日に本拠地バンテリンドームで行われた岡田俊哉投手との引退試合&セレモニーは爆笑の連続だった。8回の現役最後のマウンドで中村悠平(ヤクルト)にセンター前にはじき返されると、試合後のセレモニーでは自身の現役生活「12年間」を「16年間」と言い間違え、さらに恒例の胴上げも最初は完全スルー。寝そべったリアクションから胴上げされる“祖父江劇場”が展開されたが、その光景からは祖父江の人柄、そしてどれほど仲間に慕われていたかが伝わって来た。 ――いつもとまったく違うオフではありませんか。
祖父江 いや、それが何も変わっていないです。普通にオフに入って普通に休んでいる感じですね。まだ(引退した)実感がなくて。
――あらためて引退の経緯、決断の理由を教えてください。
祖父江 球団に呼ばれて来季は構想外と言われました。もし現役続行を希望するなら……と言われましたが、僕はドラゴンズで終わりたかったので、それならば引退しますとお伝えしました。
――その予感はありましたか。
祖父江 ここ数年は力の衰えも感じていました。自分の中でも今年、結果を出せないようならラストのシーズンになるなという気持ちはありましたから、連絡が来たときは覚悟していました。チームの戦力になれていないことは自分でよく分かっていましたし、他球団でも現役を続けたいと、そこまでの熱い気持ちもありませんでしたから。
――祖父江さんは地元一筋の“完璧な”フランチャイズプレーヤーですからね。
祖父江 そうなんですよね。入団するのも遅かったですし(26歳)、そこでドラゴンズに拾ってもらったわけですから、ドラゴンズで終わりたいとはずっと思っていました。
――最後のマウンドで安打を打たれたのは、
井上一樹監督も言っていましたけど祖父江さんらしかった。
祖父江 最後は抑えて終わりたかったんですけどね。僕は若干、三振してくれるかなとも思っていたんですけど(笑)、真剣勝負してもらってありがたいなとも思いました。
――打たれても何だかうれしそうでしたね。降板後のベンチでもずっと笑顔でした。
祖父江 ちょっと恥ずかしい部分もあって照れ隠しもありました。でもこれで終わったなと。
――試合後の引退セレモニーでも涙は一切なく、祖父江さんらしかったと思います。
祖父江 僕はあまり野球人生で泣いたことがないんですよ。でもさすがに引退試合くらいは泣けるだろうと思っていたんですけど、泣ける場面はまったくなかったですね。
――あいさつで12年を16年と言い間違えたのは予定どおり?
祖父江 いや、マジで間違えました。僕の前だった俊哉(岡田俊哉)のあいさつに聞き入ってしまって・・・
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